平野紫耀 20歳でデビュー諦めかけた過去も…背中を押した楽曲「とにかくがむしゃらに進むんだって」
2022年10月21日 21:58
芸能
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平野がこの曲を聴いたのは、キンプリの結成前。この曲が心に響いたのには、平野の複雑な家庭環境もあったという。「小学校4年の時に両親が離婚して、4人兄弟だったんですけど…。あ、違うや。2人だ」。天然ボケも挟みながらも、「お母さんの方に引き取られて、僕と弟は。5、6年前まで3人暮らし。身近にいた親ですらも、世間と戦ってきた」と振り返った。
夢を追ってジャニーズ事務所に入った平野。しかし、20歳を超えてもデビューの声はかからず、「20歳でジャニーズJr.だったので、辞めようと思っていたんですよ」と頭をよぎったという。そんな葛藤の日々に聴いていたのが、この曲だった。
平野は迷いながらも、「夢があるなら」と、自己暗示をかけるように前へ進もうとする歌詞をピックアップ。「このパートを聴いて、“行けるか?いや、まあ、行けるよな!”って、ある意味安心させてくれるフレーズで、とにかくがむしゃらに進むんだって」と語った。
決意して向かった先は、当時社長のジャニー喜多川さん。デビューを直訴するためだった。「僕もその時、一か八かの直談判で、言いに行って、“ユーたち、デビューできないよ。無理だよ。年も年だから”って言われたら、辞めようと思っていたんで」と、当時の覚悟を明かした。
ジャニーさんはあまり乗り気ではなかったという。「“ずっと数字に追われる人生になるよ?”ということを教えてもらって」。その場ではOKをもらえなかったものの、「明日、会見やるから来てね」と連絡があり、現場へ行ってみるとデビュー会見だったという。18年1月にデビュー。「うれしさよりも、僕は覚悟とかの方がでかかった」と、当時の心境を思い出していた。
数々の国民的アイドルグループを世に送り出してきたジャニーさんは、19年6月に死去。キンプリはジャニーさんがデビューさせた最後のアイドルグループになった。平野は「ジャニーさんが残してくれた僕たち、ジャニーさんがデビューさせてくれたことに恥じないような活動をしていかなきゃな」と、自身に言い聞かせるように語った。