松村邦洋 「かわいそうなぐらい悲惨」だった「電波少年」時代 支えとなった“戦友”出川哲朗の言葉
2022年10月26日 16:16
芸能
「電波少年」で体当たり芸人として露出を増やす一方、弊害もあったようで、松村は「電波少年の反響はすさまじく、街を歩けば絡まれたり、いたずらされたりするのが当たり前だった」と振り返った。
出川は当時の松村について「本当にかわいそうなくらい悲惨でしたよね。毎日、チーマーが家に来ちゃうから。トマトケチャップとか、まっちゃんの家の入口で“ファッションヘルス松村”と書かれたり、(住んでいた)中野坂上の寿司屋とかいろいろなところに行っても、メニューを開くと、松村の電話番号とか書いてある。松村のマンション名と部屋番号が書いてあったりとかあって…」と回顧。「松村狩り、出川狩りっていうのが流行っちゃって、ロケできないんですから、本当に」と苦笑。「今考えると不思議だけど、それが当たり前だった。本当に頑張ってたな!って気がします。だって、プライベートがないから、家に来ちゃうんだか」と振り返った。
松村も当時について「家にも日常茶飯事でしたね、ガンガンガンガン…会いに来てくださるみたいですね。1階が寿司屋で、食後にみなさん来られてた」ともらした。
出川は「僕の座右の銘なんですけど、“一生懸命頑張っていれば誰かが見ててくれる”。これはまっちゃんとはいつもお互いに言い合ってましたね。今、こんだけしんどいけど、絶対誰かが見ててくれるからっていうのはお互い言い合ってたのは覚えてます」と懐かしむと、松村も「出川さんとは電波少年のロケをお互いやってたんですけど、出川さんが僕に“今回のロケどうだった?”って聞いて“キツかったですよ”って(答えると)。“キツかったって言葉が出てたらこのロケ、うまくいってるよ”って。“俺もキツかった。キツかったってことは上手くいってる。キツいって大事なんだよ、まっちゃん”って(言っていた)」と支えとなった出川から言われた言葉を明かした。