藤子不二雄Aさん「お別れの会」 永井豪さんら出席「もうお会いできないのが本当につらい」
2022年10月31日 12:30
芸能
藤子不二雄Aさんは小学5年時に生まれ故郷の富山県氷見市から同県高岡市に引っ越し、クラスメートの藤子・F・不二雄(本名藤本弘)さん(96年死去)と出会った。ともに手塚治虫さんに憧れて漫画家を志し、高校時代の1951年に毎日小学生新聞の連載「天使の玉ちゃん」でデビューした。
52年に富山新聞社に入社も、藤子・Fさんに漫画家の道に誘われ上京。多くの漫画家が住んだ東京都豊島区のトキワ荘に住み、仲間と漫画づくりに没頭した。64年に週刊少年サンデーで連載が始まった共作「オバケのQ太郎」が大ヒット。初めてアニメ化もされた。共作はこれが最後で、藤子Aさんは「忍者ハットリくん」「怪物くん」、藤子・Fさんは「ドラえもん」「パーマン」などの作品を生み出した。
70代後半まで大病の経験はなかったが、12年に大腸がん、13年に腸閉塞を患うなど、晩年は病魔と闘った。80歳を過ぎても連載を続けたが、15年に心不全を患って以降は漫画を描いていなかった。