高畑淳子 「何も秀でたものがない」悩んだ高校時代 有名私大、女子大に軒並み受かっていたが進学先は…
2022年11月13日 18:47
芸能
受験は「お茶の水、東女(東京女子)、津田塾、早稲田、慶応でパックで、東京。(東京)讃岐会館ってところに泊めさせられて、数うちゃ当たるだろうって全部受けさせられるの。でも、丸暗記、記憶力は良かったから、全部受かったの」と有名私大、女子大に軒並み受かっていたと明かした。
そんな高畑の告白に、戸田と永野は「すごーい!」と驚愕。高畑は「理解力なんてない、ただの丸暗記。過去問をオールナイトニッポンを聞きながら毎日やってるだけよ」と謙そんしつつ、合格者の名前が地元の新聞に載ることもあり、近所の人に「お宅のお子さん、ええところ、たくさん受かって、どこ行くんですか?」と言われていたという。
そんな中、受験勉強中に、受験生向け雑誌「蛍雪時代」を見かけ、「演劇を勉強したい」という受験生からの質問に「桐朋学園ってところで実技を教えてくれます」と書いてあったのを見たという高畑は「なんでだろうな、そこに一人で願書出してた」と告白。審査は「水着で歩けばいい」とあったそうで「水着は水泳部だったから何の抵抗もなかったから」と振り返り、「桐朋学園行きたい!」と親にお願いしたという。
父親からは「受験勉強しすぎて頭おかしくなったんやな」と言われたというが、母は「戦争中に何も自分のやりたいことができなかった。この子はするっていったら、する子だからやらせたろうな。どうせ女はお嫁に行くだけやんか」と後押ししてくれたといい、その後押しもあり、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻へ進学することになったという。これに、戸田と永野は「すごい、ドラマみたい」と再び驚きの声を上げた。
それでも、演劇の専門学校に行くと、みんな日本舞踊や、バレエなど「かじったような人ばっかり」だったといい、「ついていくのに、いっぱいいっぱいだった」と高畑。「劇団も受験しても落ちまくって」と振り返り、何とか青年座に入団。女優としてスタートを切るも「30代まで何の仕事もできなかった」そうで「お仕事も売れないし、“そろそろ帰ってきーや!”ってことで、母もお見合いの口も探して。30歳で(実家に)帰ろうと思った時に、舞台で1本当たって。それで首の皮一枚つながって、現在に至るって感じ」と説明。「その芝居をやらなかったら、四国に帰って、おせんべい屋の看板女将になってたと思う」と笑った。