舟木一夫 “御三家”西郷輝彦さんとの最後の会話や思いを明かし涙「彼が悔しかった分、俺頑張ろう」

2022年11月18日 15:30

芸能

舟木一夫 “御三家”西郷輝彦さんとの最後の会話や思いを明かし涙「彼が悔しかった分、俺頑張ろう」
舟木一夫 Photo By スポニチ
 歌手の舟木一夫(77)が18日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。今年2月に他界した歌手で俳優の西郷輝彦さん(享年75)との最期の会話や西郷さんへの思いを明かした。
 舟木と西郷さんは1960年代に歌謡界の「御三家」として共に活躍。司会の黒柳徹子から「今年2月に盟友・西郷輝彦さんが亡くなって。前立腺がんですか。やっぱり仲良かった?」と問われると、舟木は「うーん。やっぱ若い頃はね、お互いにもう忙し過ぎてそれこそ個人的な付き合いっていうのはないんですよね。で、まあ50代ぐらいからですかね。むしろ。仕事一緒になるのが増えて来たのが」と振り返った。

 そうして50代以降は「いろいろ話もする、電話もするようになって」と舟木。「それでまあ彼が体を病んでるっていうことはね、オフィシャルにするちょっと手前に、電話で全部僕に細部まで話してくれて。その後今度“55周年のコンサートやりたい”って彼が言わけですよ。僕だって彼の体のことは聞かされてますからね、是非やりたいわけですよ」との思いがあったという。

 「で、2人は話を進めて」いたというが、最初は新型コロナウイルスの感染拡大で「1回飛んで」、「飛んだ瞬間に輝さん悔しがったけど、次の年の(中野)サンプラザのステージのスケジュールも取ったんですよ。そうしたらそれもコロナで飛びかかったんですね」と明かした。

 「ところがその頃に輝さん、ちょっと体がきつかったみたいで。それでもう電話かかってきて。“丸々半日集中するのはしんどい”という話を僕にしてきてくれて」。舟木は「じゃあ、55周年のステージを2部構成に分けて、それで俺がつなぎでちょろちょろ出て付き合うから、何とかやろうよ」と話して進めていたというが、「結局その会館が空いてる日と彼の体調が合わなかったんですね」と語った。

 当時は3カ月に1度は電話をしていたというが、ある時電話をかけると笑い声がし、西郷さんから「俺今オーストラリアにいるんだ」と治療を受けていることを伝えられたという。舟木が「帰って来たらとりあえず一報して」と伝えたところ、「帰ったらね。8月のそうだな、半ば過ぎには帰れると思うから、その時には必ず一報を入れる」と言われたとした。

 だが「その一報が9月になっても10月になっても来なかったんで、到底いい方には考えられませんよね」。すると「ある日突然ね。そういう(死去の)報が。僕は出先だったんですけども、連絡がかかってきて、こうこうこうだということでね」と西郷さんの死去を知ったという。「まあなんか、ポカンとしてましたね。それと同時に誤解されると困るんですけど、誤解を恐れずに言えば男同士の感じでもって、“全くもう、旅に出るなら出るで、電話一本ぐらい入れろよ”みたいなところが男の子としてはあるわけですね」と振り返った。

 四十九日の法要が終わった後に西郷さんの自宅を訪れ、「ちょっと彼に会ったんですよ。やっぱその奥様が一番好きだったのか、とってもいい顔して笑ってる写真だったんですけどね。やっぱり目が合ったらつらかったですね」と舟木。帰りがけには生前西郷さんが使っていたタイピンを渡されたとし、「それ以来僕は使わせていただいてるんですけどね」と形見として大切に使っているとした。「でもまあ僕自身が現役でね、歌を歌っている間はどうも輝さんのことだけは過去になりそうもないなって。そんな気がするのよねえ」としみじみと語った。

 黒柳から「西郷さんの死を通じて、歌への思いに何か変化はありましたか」と聞かれると、舟木は「ええ。5月ぐらいからですかね。ちょっとステージ変わりましたね、僕」と明言。「自分が今歌っていられること、ステージに立っていられることのうれしさ、ありがたさっていうのが身に染みてきましたね、だんだん。輝さんはあんなにやりたがってた55周年をできなかった。で、やらせたかったとみんなで思ってるんだけど、実現しなかったというのを間近で接して。その彼が旅立ってね。3、4カ月したときに、つくづくね、輝さんにコンサートさせたい、って思うんですよね」と語ると、「いけませんねえ…」と涙。「まあ彼が悔しかった分、まあ俺頑張ろうという感じですね」と続けた。

 黒柳が「あなたがそうやって彼のために流した涙は、たぶん、きっと向こうで…」と語ると、舟木は「まあね、そのうち会えるんでしょうけど、とにかくまあ同期っていうか、男の子でわあわあ言ってた悪友というかケンカ友達と言うかね、そういう人がいなくなるのはね、なんかよく分かんなくなっちゃいません、自分がね。まあ穴が大きすぎるのかな」と告白。

 「お互いに50、60を超えてからやっぱり“うん元気?”なんてことを言い始めて、亡くなる2年くらい前に本当に2人きりで2時間ぐらいご飯食べながらしゃべったんですけど。そういうことを経てくるとやっぱり、誤解してた部分と“なーんだ、そんなことだったのか、お互いさ”っていうのと笑い合ったわけですけどね」と回顧し、「だからそういう意味でどうでしょう。ある意味で親やきょうだいよりも、“俺たちにしか分かんないよ”“ステージ1人で立ってる人間しか分かんないよ”っていうところの思いが。まあお互いにね、分かるんで。今になってみるとそういう時間が持てて良かったなというふうに思いますね」と話した。

この記事のフォト

【楽天】オススメアイテム