崔洋一監督 晩年も飽くなき情熱 映画化したい候補作品まだまだあった せめてあと1本…
2022年11月28日 05:18
芸能
怒鳴りながら中継車のタイヤに蹴りを入れている男がいた。崔監督だった。近づくのもはばかられるほどの荒れ具合だった。
その6年前の83年。毎日映画コンクールに新人賞が新設され、「スポニチグランプリ」と冠が付された。記念すべき第1回受賞者が「時をかける少女」の原田知世と「十階のモスキート」の崔監督だった。内田裕也さんが脚本を手掛け、主演した作品だった。
崔監督の現場取材を先輩から引き継いだのは89年に公開された「Aサインデイズ」からだったと記憶している。沖縄のロケ先にも飛んだ。そこからの長い付き合い。スポニチ文化芸術大賞の選考委員も務めていただいた。こわもてだったが、「一番好きな映画は『ローマの休日』なんだ」と明かすロマンチストな一面もあった。
今年の1月、千代田区の喫茶店で会い、ぼうこうがんが肺や腎臓に転移していることを打ち明けられた。やつれてもおらず、パスタをぺろりと平らげた崔監督に、がんと闘う強い意志を感じた。
4月に7日連続のトークショーをテアトル新宿で行ったのが最後の大仕事。「死ぬ10秒前に“ああ面白かった”と言って死にたい」と話していたが、一仕事やり終えた爽やかな顔だった。
撮りたい作品はまだまだたくさんあった。タブレットで候補作を見せてもらったこともある。毎年の大みそかに開催された裕也さん主催の年越しライブ「ニューイヤー・ロックフェスティバル」。その楽屋に「コミック雑誌なんかいらない!」の滝田洋二郎監督と、そして崔監督の姿が必ずあった。付き合いを大切にする人だった。せめてあと1本は撮らせてあげたかった。 (編集委員・佐藤 雅昭)