渡辺裕太 父・渡辺徹さんは入院時「顔色が変わっていた。今までにないくらいしんどそう」と明かす
2022年12月05日 17:53
芸能
最後に父と会話したのは「覚えていない。数週間前だった」としながらも「今思い出したんですけど、1カ月前くらいに実家に寄った時、母親の息子歴33年だからと話すと、『俺は夫歴35年だぞ、もっと慣れてるんだから』と言っていたのが最後だったかな?」と、おしどり夫婦らしい言葉だったことを明かした。また、徹さんは「周りを楽しませることが好きだったので、母親はいつも楽しそうでした。もちろんけんかもよくしていましたし…僕にとっては温かい家族でしたねえ」としんみりと語った。
11月13日には裕太が浅草東洋館で落語会に出演。徹さんは夫婦で観に行っており、「父親の姿が高座から見えて、それが一緒の空間にいた最後の瞬間かな。元気な姿を見たのは…すごく印象に残っています」と語った。入院を聞いた時には「ずっと体を心配していたんですが、またいつもの感じかなと」と思っていたが、「亡くなる3日前に初めて病院に行けた」時には「だいぶ顔色が変わっていた。今までにないくらいしんどそうで…意識もないんですが。その時にそろそろ覚悟を決めなきゃいけないなと思っていました」と明かした。
また、徹さんが亡くなった後も仕事を続けている理由を「僕のことをなんでも肯定してくれる父親だった。もちろんしんみりしている時間もありましたが、ずっとしんみりは嫌だなと。それを父親も絶対後押ししてくれるだろうなと思いました。裕太がそう思ったんなら、しっかりやってこい!いつも通りでやってこい!と言ってくれたと思う」と語った。最後に、徹さんとは「多くを語り合う親子関係ではなかったですが、任せたぞ!と言われた気がして、わかった!任せてよ!という感じです」と、徹さんの思いを受け止めていた。
徹さんは11月20日に発熱、腹痛などの症状が出たため、都内の病院で検査を受け、細菌性胃腸炎と診断され入院。11月28日午後9時1分、敗血症のため都内の病院で死去した。妻の榊原郁恵とはおしどり夫婦として知られていた。
徹さんは高校卒業後の1980年、文学座の門を叩き翌81年研究生に。同年、オーディションで「太陽にほえろ!」の竹本淳二(ラガー)刑事役を射止め俳優デビューした。劇中で殉職するまで約4年間出演した。82年には歌手デビューも果たし、2枚目のシングル「約束」が大ヒットするなどアイドル的な人気となった。柔和な明るいキャラクターで、バラエティー番組や情報番組の司会者としても親しまれた。