ティモンディ高岸 済美高時代「育成契約なら」と声をかけてくれたプロ球団とは 当時の驚きの練習も明かす
2023年01月28日 16:33
芸能
中学の終わりには身長が1メートル84あり、球速も135キロ。鳴り物入り、スポーツ推薦で済美高校に入学した当時は「甲子園で活躍して、プロ野球選手に俺はなる!」との夢を抱いていたとした。
共に出演した相方の前田裕太は「済美高校は当時、全国でも1番か2番目くらい練習が厳しいとされていた強豪校だったんです」と説明。高岸は「入部して1カ月はひたすら声出しの練習」「デカいタイヤをつけながらのランニング、ノック」「巨大な丸太を持ってのダッシュ」をしていたと紹介した。
生徒役の高橋みなみは「えっ、これ漫画の世界じゃないんですか?」と仰天。前田が「監督がめちゃくちゃ凄い監督なんですね」と話すと、高岸は「(甲子園)初出場、初優勝に連れて行った。説得力があったんですよね」と語った。
前田は「入学して1カ月はボールは持たせてもらえず、河川敷に並んでひたすら返事をするんですね」と、最初は「はい」「いいえ」と返す練習をしていたと言い、高岸が実践。「あぅああ!」と返事をすると、共演者からは「言えてないじゃん!」とのツッコミが入ったが、高岸は「当時の監督さんから言わすと、本気の“はい”はこうなると」と強調した。
前田は「これを全員で20人ぐらいが300回、400回ぐらいは感覚でできるようになる」「ひたすらやらされるんで、自然と1つになってくる」と説明、高岸は「監督さんがわざと敵役をしてくださるんで、監督対選手の図になるんですよ。だからみんなで絆を一つにできる。一緒に監督さんをギャフンと言わせよう、みたいなメンタルになってくるんですね」と続けた。
タイヤをつけながらのランニング、ノックについては2個3個タイヤをつけていたとし、「真夏の追い込みの練習になると冬のジャンパーを2枚着こんでロープでタイヤをくくりつけて、マンツーマンで1時間ノック」と高岸。当時自身を支えていたのは「やればできる!」という言葉だったと言い、「これは校訓にもなってますし、高校の校歌の歌詞に“『やれば出来る』は魔法の合いことば”というフレーズがあって。その言葉をきつい時に自分い言い聞かせるようにして練習をみんなで乗り越えていきました」と振り返った。
厳しい練習を重ねた高岸は球速が143キロまでアップ、「成果が出たことでもっと自分を追い込んでいこうという考えになっていきました」。すると高校卒業を控えた際には、プロ野球の2球団から声をかけられたとし、「阪神さんとヤクルトさんのスカウトさんから。(プロ)志望届を出せば、育成で採るかもしれないと話がありました」と明かした。
高岸は監督と相談したというが「監督さんが“欲しがってくださっている大学がある”と。なので“下位指名でプロに行くよりは、欲しがってくれている大学に行って、ドラフト1位を目指さないか”という話で、志望届は出しませんでした」と告白。前田は「家庭があまり裕福じゃなかったっていうのもあって、契約金もできればもらえれば、家族も喜ばせられるかも、みたいな感じもあったみたいですけどね」と話した。