ティモンディ高岸 プロ野球選手を目指すも大学時代に断念した“しくじり”とは?「イップスを…」
2023年01月28日 18:42
芸能
高校時代はハードな練習をこなし、球速は143キロまでアップ。高校卒業を控えた際には阪神とヤクルトから育成契約でドラフト指名するかもしれないとの話もあったというが、監督と相談の上「“下位指名でプロに行くよりは、欲しがってくれている大学に行って、ドラフト1位を目指さないか”という話で、志望届は出しませんでした」と東洋大に進学したとした。
大学時代の目標は「絶対150キロ出して、ドラフト上位でプロ入りしてやる!」というもの。だがいざ練習に参加してみると、150キロ超えの先輩ピッチャーが5人いるという厳しい現実に直面。焦った高岸は限界を超えるため、全体練習の後に「毎日200球の投げ込み」を自身に課したとした。
相方の前田裕太は「これはちょっと異常な数字でして。プロでも100球投げたら複数日は休む」と説明。さらに高岸はライトからレフト間のダッシュを50往復という計約15キロのダッシュと、スクワット中心のウエートトレーニングも行っていたとし、体にもガタが来たとしながらも「痛くても高岸はやり続けます」。それについて高岸は「肘は痛くなればなるほど鍛えられている証拠だ!」との誤った考えがあったためだとした。
すると高岸は春のオープン戦で登板の機会が与えられたが、「1アウトも取れずにノックアウト」「先頭打者にフォアボール、次のバッターに長打を浴びた瞬間に即降板」という結果に。「もう終わったんじゃないか」「自分を追い込んで、もっと練習して。1球たりともミスはしてはいけないんだと。自分でももっと追い込んでいきました」と語った。
肉体的にも精神的にも追い込まれた高岸は大学1年の7月を迎える頃には目標である150キロを投げるどころか、「軽いキャッチボールなのに暴投を連発」するイップスとなってしまった。「心の病気って言われてますね」と話した。
しかし当時の高岸は「やれば治る!絶対にイップスじゃない!」と思い込んでいたという。全力投球で打者に投げることはできたが「緩いキャッチボールが全くできない」ため、「アップを監督やチームメイトの前でやると、イップスだとばれてしまう。イップスだという思い込みがより強くなると思ったので、僕はノーアップでいきなりマウンドに上がって全力投球をするように。そこで肘を悪循環でまた故障をするという」状態だったとした。
「イップスを認められないので、病院もいかないと。なので病院に行って休養もしないので、一向に改善もしないっていう悪循環になってきます。肘も3年生の時には痛めてました。可動域が出なくて」と高岸。大学には特待生で入学し、学費も免除されており、家庭が裕福でなかったこともあり、「毎年契約更改があるんですね。でも監督は家の事情も知ってるんで。学年で5人ぐらいしかフル特待っていうのはなかったんですけど、試合に出れない選手をその5人の中に入れてもらってるのがつらくなってきて。それは違うんじゃないかと僕は思ってきたんですよね」と回顧した。
結局4年生になるタイミングで退部を決断。「監督さんは本当に優しくて、“イップスになってても、事情があって契約はするけど、お前が決めたんだったらそうしなさい”っていうことで退部をしました」。高い理想を掲げて自分を追い込みすぎた結果、大好きな野球を失ってしまったことから「全力で追い込むだけが全てではない!少し休むという選択肢があっていい!休むこともトレーニングの1つだっていう言葉が。休むことも前向きなことだっていうことを皆さんに伝えたいですね」と教訓を語った。