本並健治氏 Jリーグ発足で激変した選手生活を回想「アイドルの気持ちがよく分かります」
2023年02月04日 18:58
芸能
「松下電器ってつぶれないじゃないですか?部長くらいになって、サッカーはそこそこでいいかなというビジョンではあった」と、漠然と将来を思い描いていた本並氏。しかし、93年にJリーグが発足されると知ると、「でもプロができたんで、挑戦してみようかな」と、心境に変化が起きたという。
Jリーグフィーバーで、待っていたのは超多忙な日々だったという。「休む暇がなかったですね。水(曜日)、土、水、土で試合やって、PKやって延長もあったので」。当時のJリーグは、前後半90分で同点の場合は延長戦に突入し、それでも決着しない場合はPK戦も行われた。本並氏は「アイドルの気持ちがよく分かります」と、当時を述懐。「ぼーっとした中でずっとやっていた感じですね。特に1年目は。フラッフラの状態でゲームをやってました。中(フィールドプレーヤー)の選手は特に」とも明かした。
Jリーガーとして世間からもてはやされたかと思いきや、本並氏は「関西ではないでしょう」と否定した。当時のエースストライカー永島昭浩氏と街に出ると、トラブルに巻き込まれることも多かったそうで、「ようケンカになるんですよ。もめて。“お前らな、何メシ食ってるんや!メシ食う前に練習せえ!”って言われるんですよ。メシも食うわ!って思いながら」と告白。そのため、食事の際には個室を借りて人の目を忍ぶこともあったようで、「派手な遊びは…。バブルと言われてもピンとこないですね」と話していた。