本並健治氏 ドーハの悲劇の裏で挑んだ生命との闘い「目標があったから復帰できた」
2023年02月04日 19:26
芸能
広島戦の後半終了間際。「ちょうど後半の終わり際ですね。コーナーキックを取りに行って、相手の膝がそのまま背中に入って」。それでも「尋常じゃなかった」痛みに耐えて延長戦へ。延長ではすぐにゴールを決められ、敗れたという。
控え室に戻り、座った瞬間から全く動けなくなってしまったという。「おかしいというか、動けなかったです、一歩も。ロッカールームに戻って、座った瞬間に動けなくなって。顔色が土色になってきて。みんなが“これ、やばいぞ”って感じになって、救急車で運ばれて」。診断結果は、腎臓破裂と肋骨骨折だった。試合が延長すぐのタイミングで終わったことが、本並氏の生死を分けたといい、「すぐに延長に入ったので良かったんですけど、延長に入ってすぐに決められたので。命は助かったんですけど、“もうちょっとやっていたら、ヤバかったよ”って(言われた)」と明かした。
夢の代表入りは、もちろんお預けになった。日本代表も、W杯アジア最終予選でイラクと後半ロスタイムに失点して引き分け、初の本大会出場は幻に。「ドーハの悲劇」と呼ばれ、語り継がれた。その裏で、本並氏も自身の命をかけた闘いに臨んでいた。「腎臓も1個取るとか言われたんですよね。取ったらもう(サッカーを)できないからと言われて、何とか3分の1だけで終わったんですけど」。本並氏を奮い立たせたのは、代表入りにかける執念だったという。「その時はやる気満々だったんですよ。代表に入ると言われていたんで。目標があったから復帰できたというのはあると思う」と振り返った。
本並氏は翌94年、日本代表デビューを果たした。しかし、体調は万全とはいかず、「この1年か2年くらいずっと微熱が続いて、めちゃくちゃしんどかったですよ。後遺症が。その時に代表に入ったんで、ちょうど。フラフラの状態で代表の試合に出てたんで」と打ち明けていた。