元白鵬・宮城野親方 来日後、最初に相撲の基礎学んだのは運送会社 そのワケとは…

2023年03月04日 12:15

芸能

元白鵬・宮城野親方 来日後、最初に相撲の基礎学んだのは運送会社 そのワケとは…
元横綱・白鵬の宮城野親方 Photo By スポニチ
 元横綱・白鵬の宮城野親方(37)が3日放送の日本テレビ「アナザースカイ」(金曜後11・00)にゲスト出演。モンゴルから来日し、横綱になるまでの歩みを振り返った。
 親方は今年1月28日、東京・両国国技館で行われた引退相撲を行い、最後の取組と最後の土俵入りに続いて断髪式に臨んだ。

 「アナザースカイ」として挙げたのは「大阪」で、なじみの店でフグに舌鼓。「場所中は飲まないんですよ。3週間、酒断ちますからね。体大きくしないといけないと思って食べる稽古もしましたし。やっぱり美味しい物を食べるっていうのは幸せ」「引退してから食事も美味しいし酒が美味しい。何が幸せって明日朝稽古がないのが幸せ」と後先考えずに飲食できることに幸せを感じている様子。

 プレッシャーに押しつぶされまいと耐えた現役時代によく来ていたという大鳥大社を訪れ「よく来ていました。散歩っていう形で来てましたし。ヤマトタケルを祀っているんですね、勝負の神様。それを知ってからよく来ていました。お参りして、ケガしないで無事に15日間終わるとか。見守って、力欲しいなって、そういうものになんか…支えてほしいって弱い部分があるから来るのかもしれませんね。毎日怖かったです」と吐露した。

 ともに歴代最多の通算1187勝、優勝45回。前人未到の領域に達した大横綱となったが、来日当初は苦難の連続だった。

 15歳でモンゴルを離れ、最初に生活したのは大阪・大東市。運送会社「摂津倉庫」で働きながら相撲をとってアマチュアで活躍する社会人相撲の名門に、23年前、6人のモンゴル力士とともに見学ツアーのような形で訪れた。2カ月間、相撲の基礎を教わり「観光ツアーみたいな感じで当時はお相撲さんになると思っていなかった。大相撲に入る体型ではなかったし、体重も…細かったんで当時は62キロですから、稽古っていっても稽古になりませんよね」と懐かしんだ。

 日本の父と慕った先代の会長・浅野毅さんは2016年に他界。「自分の感覚ですけど、私にいつも優しかった。一番小さいし、細いし。稽古見ていても弱い。他の子よりも、私に携帯を渡して実家に電話させてくれたんです」と自身のことをいつも気にかけてくれていたという。「公衆電話でお金使うな、お金は貯めとけと言ってくれて」と回想した。

 当時は旭鷲山、旭天鵬、朝青龍らモンゴル出身力士が躍進し、「いろんな部屋の親方が興味を持ってくれた。なんでこんなに強いのかと。それでスカウトされていくんです」。一緒にツアーに参加していた仲間が次々とスカウトされていく中、一人残されたという。

 モンゴル相撲の大横綱で、レスリング選手として五輪で同国初のメダルをもたらした英雄的存在の父・ムンフバトさんに「親父に電話して“(モンゴルで)オリンピック選手になりますから良い監督、先生を紹介してください”っていうところまで話が決まってたんです」と帰国の準備を始めていたという。そこに帰国前日の夕方、急きょ入門の話が舞い込んだ。「よーし、俺を見た親方たちが見る目なかったと思わせてやると思って、逆にそういう気持ちになった」と奮起につなげたと語った。
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