元白鵬・宮城野親方 負け越しから始まった最強横綱への道 「毎日3回泣いていた」
2023年03月04日 12:26
芸能
初土俵は大阪で、当時は体重80キロ。負け越しからスタートし「毎日3回泣いてましたよ。やっぱり稽古できつくてできなくて、泣くんです。泣き虫で。3回目は夜寝る時、布団に入って、明日またあの稽古が始まるんだと思うと泣いちゃう」と泣いてばかりだったという。
稽古にも参加させてもらえず「このまま帰されるんじゃないかと…」と弱気にもなったが、父・ムンフバトさんの顔が思い浮かんだという。モンゴル相撲の大横綱で、レスリング選手として五輪で同国初のメダルをもたらした英雄的存在。「大横綱の息子、五輪メダリストの息子が負け越したと。ほんとにきつかったです、実は。でも、絶対このまま帰ってはダメだと。帰ったら両親の顔に泥を塗るんじゃないかとか恥をかかせてしまうって」と耐えた。
初土俵から4年、21歳で大関昇進。今度は勝って当たり前、勝ち越して当然という新たな重圧に直面した。「楽しみとか楽しいっていう言葉はなるべく使わないようにしていた。よくアスリートの方々が明日楽しみですって言うじゃないですか。僕は何が楽しいのかなって。20歳まで相撲は楽しかったけれど…」と極限の精神状態だったことを明かした。