さよなら奈良岡さん 喪主・丹野郁弓さんが追悼 あの演技を二度と見ることができない「寂寥感」
2023年03月30日 05:00
芸能
私が死んでも絶対葬式はやるな、これは私の遺言だ、と奈良岡朋子は常々言っていた。その口調は宣言にも似て強かった。だからこんな形でしかご報告できないことをどうぞお許しください。
白いタンスの上に彼女は小さな祭壇めいたものを作っていた。両親の写真に並べて、杉村春子さんの扮装写真、石原裕次郎さんのプライベートスナップ、美空ひばりさんの楽屋の写真が飾ってある。宇野重吉先生の写真は、無い。滝沢修先生から頂いたという綺麗(きれい)なグラスに水が入っている。たまたま起きぬけの彼女を見たことがあった。彼女はグラスの水を替え祭壇に手を合わせた。唇がかすかに動いている。目を閉じた彼女の横顔が忘れられない。どうせ、もう少しだけ舞台をやらせてください、とでも祈っていたのだろう。
彼女の演技には客観性がある。戯曲の読み込みも深い。ダメ出しに応じてたちどころに一から十まで変えて見せる確かな技もあった。そしてここぞという一瞬にダイナミックに気持ちを籠(こ)める。冷静さと計算と感情を優れたバランスで持ち、表現できる稀有(けう)な女優だった。叔母を亡くした悲しみよりもあの演技を二度と見ることができない寂寥(せきりょう)感の方が強く私を襲っている。
稀代(きだい)の晴れ女でもあった。今日の劇場の搬入口は屋根が無いので奈良岡さんお願いしますね、と言うと、任せときなさい、の一言で本当に雨が止(や)む。止むどころか真夏にピーカンにされたこともあった。ところが亡くなった3月23日の夜は雨だった。小糠(こぬか)雨に打たれながら、ああ、もういいや、と奈良岡さん思ったな、と私は呟(つぶや)いた。
奈良岡朋子、享年九十三歳、満開の桜の下、ほぼ七十五年にも及ぶ舞台人生の幕がおりた。