「実は遺書を書いたんだ」坂本龍一さんは衝動的で常にシンプル さりげない“命懸け”が生んだ名曲の数々
2023年04月03日 05:30
芸能
世界のサカモト。そう呼ばれる理由はもちろん音楽家としての数々の世界的偉業によるが、人懐っこい笑顔が象徴するように、興味が湧くと衝動的に世界を飛び回り“命懸け”で見た現場や出会った人たちの人生に触れて感動する。YMOを結成した頃から常に時代に敏感でありながら決して時代に合わせるのではなく、逆にインスタントな成果や交流に背を向け、自分が音楽を通して社会とどうつながって、楽しい平和な世界を築けるのか。実はあらゆる創作の根源はそんなシンプルな衝動だった気がする。
実際、地雷を撤去する人たちの人生を聞き込んで生まれたのが、18分以上に及ぶ大作なのにオリコン1位になった曲「ZERO LANDMINE」であり、180万枚を売った99年の大ヒット曲「エナジー・フロー」も中高年世代を音楽市場に回帰させる歴史的作品だったが、当時流行した“いやし系”なんて狙いはなかった。「僕は狙って作るとうまくいかないタイプ」と笑って明かしていた。
仕事選びもシンプル。バルセロナ五輪の開会式でタクトを振ったことにも「一度断ったんだよ。スポーツは大好きだけど開会式は大嫌いだから。だってつまんないでしょ。でもアイデアを見せられたら凄く面白かったからやったんだ」。
そしていつも衝動的。当時、記者がオンボロの録音機を使っていたら「おっ!?テープ止まってるよ」と言いながら、勝手に録音機を空手チョップ。「おお!動いた。やっぱりこれだよな!!」と、浮かべた満面の笑みは今も忘れられない。
さりげなく、命懸け――。教授の音楽が世界に響き渡った理由にはその迫力が根底にあった。そんな彼が「もう、逝かせてくれ…」と漏らした凄絶な闘病。それでも最後まで音楽家であり続けようとした生きざまは圧巻である。(スポニチ本紙編集局次長・阿部 公輔)