岩田明子氏 命の危険を感じた海外取材「生きて帰れるかな?って、涙ちょちょ切れちゃいました」
2023年04月18日 14:59
芸能
「2009年だったから、迫撃砲も飛んでたんですよ。防弾車、防弾チョッキ、オーストラリアの警備会社で傭兵を雇って…という世界で、初めて命の危険を感じましたね」
オーストラリアの傭兵の行動一つにも驚いたという。「傭兵がちょっとカサっと音がすると、ガーっと撃つんですね。私の頭の中では、撃ったら撃たれるという思いがあったので、“やめてくれ”と言うんですけど、(傭兵は)“撃たなきゃ撃たれるでしょう”ということで。生きて帰れるかな?って、涙ちょちょ切れちゃいましたけどね」と振り返った。
防弾車の装甲にも不安を感じたという。「“防弾車、何発まで耐えられるの?”って聞いたら、“7発まで”って。意外に少ないな、みたいな」。地雷が埋まっている地帯にも入ったそうで、「危険なレッドゾーンみたいなところに入ると、“足を上げろ”というんですよ。地雷があるからという意味だから、すごくリアルで怖いじゃないですか?初めて普通に元気で生きていられるありがたさと、無事に普通に帰るありがたさを感じて、本当に怖かったですね。来て、来なきゃ良かったみたいに思いました」と本音を漏らした。
ドバイから空路、バグダッド入り。着陸方法も、戦時中ならではだったという。「ドバイからバグダッドで、ジュピターというインターネットにも乗ってないような、傭兵専用の飛行機だったのを覚えてますね。らせんを描きながら離陸するんですよ。着陸もらせんを描いて着陸するんです」。すると、キャスターの辛坊治郎氏は「空港の外へ出ちゃうと、下から撃たれる可能性があるので、空港の上を旋回しながら上がって行くんですね」と補足解説していた。