鈴木亮平 恩師の死が問いかける“役者道”「俺の死んだ日のことをいつでも使えよと思っていると」

2023年04月28日 23:16

芸能

鈴木亮平 恩師の死が問いかける“役者道”「俺の死んだ日のことをいつでも使えよと思っていると」
鈴木亮平 Photo By スポニチ
 俳優の鈴木亮平(40)が、28日放送のTBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(金曜後8・57)にゲスト出演し、俳優人生の礎を築いてくれた亡き恩師への思いを語った。
 東京外国語大在学中の2004年に、俳優として活動を開始。入った事務所と提携した大手プロダクション・ホリプロ演技レッスンに、特別講師として招かれたのが、俳優で映画監督の塩屋俊さんだった。

 塩屋さんは鈴木について「最初に見た瞬間、何年かに1人の逸材だと思いました」と才能を見抜き、「今どきの俳優ってイケメンで細身でしょう?あいつは骨太の日本男児だから。幅のある演技ができる役者を育てることも、日本映画のために僕がやるべき仕事なんです」とも話していたという。

 一方の鈴木は「それまで才能があるなんて、誰も言ってくれなくて」と喜んだ。「僕もいまだに僕の中の何を見てくれたのか分からない」としながらも、「下手だけど下手なりに、その人物になるのが好きなので、どう見せようというよりも、“なろう”と思って一生懸命もがいてた。“人になる”ということを見てくれてたんじゃないかな」と推測した。2010年には塩屋さんがメガホンをとった「ふたたび―swing me again―」で、鈴木が映画初主演を果たした。

 塩屋さんの教えは、リアリティーの追求から始まった。役を深く掘り進め、固めていくこと。鈴木は「今もまったく同じことをやっている」と、当時教わった手法で役作りをしていることを明かした。一方で、「自分の経験から持ってきて、感じようとすることがあるじゃないですか?お芝居って。似たような悲しいことを体験して…とか。それは必ずしも役が体験している悲しみと同じではない。“たまに使うのもいいけど、世界が小さくなるからいい手ではないよね”って」と、塩屋さんの教えを振り返った。

 残酷にも、その教えと真剣に向き合わなければいけない時が来た。2013年6月、塩屋さんが企画し、鈴木が主演の舞台「HIKOBAE」の最中のこと。塩屋さんがリハーサル中に突然、倒れた。「仙台公演だったんですけど、それが千秋楽で、最後の最後の日に」。塩屋さんは緊急搬送され、鈴木は恩師の身を案じながら、主演舞台に臨んだ。

 塩屋さんのことが舞台に影響しているのは、明らかだったという。「みんな気持ちの入り方は違いましたね。乗っけちゃいますよね」。終演後、舞台上で塩屋さんの訃報が伝えられた。大動脈解離。56歳の若さだった。

 恩師の死が問いかける、役者としての生きざま。鈴木は「役者なので、塩屋さんも。自分の(死という)経験が僕に与えた感情を、僕が使うんだったら、大歓迎だと思う。“俺の死んだ日のことをいつでも使えよ”と思っていると思います」と、塩屋さんの教えを今も胸に刻んでいることを明かした。

 この年には、鈴木の出世作となった映画「HK/変態仮面」が公開された。超多忙だった塩屋さんは、その晴れ姿を見ることはできなかった。鈴木は「見てないんですよ。公開されていたんですけど、あまりにも忙しすぎて、塩屋さんが。“舞台終わったら見に行くわ”って(言っていた)」と、寂しそうに笑った。

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