志賀廣太郎さんと大塚洋さんのお別れの会 平田オリザ氏が思い出語る「ようやく、けじめがつけられた」

2023年04月29日 19:34

芸能

志賀廣太郎さんと大塚洋さんのお別れの会 平田オリザ氏が思い出語る「ようやく、けじめがつけられた」
志賀廣太郎さん(右)と大塚洋さん(左)のお別れの会の祭壇 Photo By スポニチ
 2020年に死去した俳優の志賀廣太郎さん(享年71)と大塚洋さん(享年66)の合同のお別れの会が29日、東京・こまばアゴラ劇場で開かれた。
 2人が所属した劇団青年団が本拠地としている劇場で、所属する劇団員らが献花した。コロナ禍でなかなかお別れの会が開けなかったため、劇団主宰の劇作家平田オリザ氏(60)は「ようやくちゃんとお別れができたと思います。けじめがつけられた」とホッとした表情を見せた。「小劇場の座長はお山の大将になりがちなので、私より10歳以上年上のお2人は非常にありがたい存在でした。劇団が続いたのも2人のおかげです」と感謝した。

 ドラマ、映画でも活躍した志賀さんは、40代で俳優としてブレークした。平田氏と出会った当時は、母校の演劇科で非常勤講師を務めていた。青年団の舞台を学校でやることになり、志賀さんが演出を手がけるため、「一度舞台に出たい」と平田氏に申し出たという。それから劇団員になった。

 平田氏は「私が岸田戯曲賞取ったり、テレビに出るようになった時期と、志賀さんがまずCMに多く出るようになった時期が重なった。少しずつ“あの人誰?”と。その当時40代後半でしたから、それまで全く無名というのも珍しかった。ウチの劇団もだんだん知名度が上がっていく時期だったので、相乗効果で名前が売れた。そこから先はドラマで活躍されて、昔は“日本一有名なバーコード”と言っていたんですけど、名前は分からなくてもみんな見たことがある俳優さんになられた。晩年は主役級、準主役級もされて、劇団の成長とともに活躍されましたね」と振り返った。

 有名になってからも「2年に1回は青年団の芝居に出たいんだ」と言っていたといい、本当に劇場が好きだった。劇場の受付を舞台に出演しない俳優が担当するが、平田氏は「一定の年齢を超えると免除になるんですが、志賀さんはしょっちゅう来ていた。ロケ現場から来て受け付けに立っていて、観客の方もビックリされていましたね」と懐かしんだ。「そういう意味でも、この劇場で送ることができて良かったです」と語った。

 平田氏は「僕も60歳になりましたし、劇団員には健康でいてもらいたい。僕が文学座さんに書き下ろした作品があって、年配の俳優さんが多数出るんですけど、いずれはウチの劇団でやろうねと話していたんです。おふたりが亡くなったのは痛手なんですけど、残った俳優には元気でいてもらって、将来上演できれば」と語った。

 お別れの会は30日も同所で開かれる。
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