笹野高史は“カメレオン” 「いい役者になりたい」74歳、変幻自在の演技「七色の」輝き
2023年05月21日 10:00
芸能
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とはいえ雑誌のグラビアを飾るのは石原裕次郎さんら長身の二枚目スターばかり。背が低くて容姿にも自信がない。バカにされるのが嫌で、なかなか夢を口にできなかったが、そんな高史少年にとって憧れの的だったのが渥美清さん。四角い顔につり上がった細い目…。勇気と希望を与えてくれる存在だった。
高校を卒業して日大芸術学部に入学。演劇のサークルにも入会し、先輩が所属していた劇団「自由劇場」にも出入りして裏方の仕事を手伝うようになる。ところが、その頃、世の中は学生運動真っ盛り。嫌けが差し、日大を1年半で中退した。
ここから異色の経歴をたどる。兄のつてで就いたのは何と船乗りだった。持って生まれた好奇心の強さ。「東南アジアを巡ったけど、楽しかったですねえ」と当時の日々を振り返るが、日本に戻った時に見たのが「安田講堂落城」のニュース。自由劇場も演劇活動を再開すると耳にして、主宰する串田和美さんに連絡。「裏方でなく、役者をやりたい」と直訴して快諾を得た。これが71年、23歳のことで、内外に向けて「役者宣言」をした。
79年に始まった「上海バンスキング」が大ヒット。ギャンブル好きのトランペット奏者「バクマツ」が大評判を呼び、映像の仕事も入るようになる。82年の自由劇場退団後も引く手あまたで、倍賞千恵子主演のミュージカル「キス・ミー・ケイト」にも助演。観劇した山田洋次監督のお眼鏡にかなって念願の国民的映画「男はつらいよ」シリーズへの出演が実現する。
85年の「柴又より愛をこめて」が第1弾となったが、これを含めて11本に出演。市役所の職員、泥棒など、ユニークなのは一つとして同じ役がなかったことで、「ワンシーン役者」を自称した。渥美さんも緊張をほぐすために気さくに話しかけてくれ、一緒に芝居を観劇するような付き合いができた。笹野の力を認めた山田監督も「武士の一分」では大役を用意してくれた。
若い頃は主役を夢見たが、ある演出家に「笹野さんは脇で光るタイプ。主役を目指したら駄目」と言われ、「悲しくて涙で枕を濡らしたが、一晩泣き明かした後、どんな役が来てもその役を見事にやってやろうじゃないか。七色の役者、カメレオンのような役者になってやる」と決意。与えられた役の履歴書を作り、溶け込む努力は今でも怠りなしだ。
98年、「コクーン歌舞伎」に誘ってくれた中村勘三郎さんとの出会いも大きかった。「お芝居に24時間かけるエネルギーを学ばせてもらった」と感謝は尽きない。男の顔は履歴書と言う。若い頃から老け役をやっていたが、スマートフォンの待ち受けにしている孫の写真を見つめる表情は紛れもなく優しいおじいちゃんの顔だった。
◯…6月16日公開のホラー映画「忌怪島/きかいじま」(監督清水崇)に出演する。なにわ男子の西畑大吾(26)の主演も話題の同作。笹野は物語のキーマンとなる役どころで「責任を感じました。ワンシーンの方が慣れているので大きい役を頂くといまだに苦労します」と謙遜気味に明かす。「ふしぎな國 日本」(83年)で映画デビューしてから40年の大ベテランだが、本格ホラー映画出演は初めてという。「人を脅かすという切り口が新鮮で面白かった」と振り返った。
◇笹野 高史(ささの・たかし)1948年(昭23)6月22日生まれ、兵庫県出身の74歳。実家は淡路島の造り酒屋。男ばっかり4人兄弟の末っ子。日大芸術学部映画学科監督コースに入学するも中退。71年に自由劇場(のちオンシアター自由劇場)に入団。79年の舞台「上海バンスキング」で注目を集める。82年の退団後は舞台「コクーン歌舞伎」や「釣りバカ日誌」「武士の一分」などの映画、テレビでも大活躍。90年に結婚。子供も4人兄弟。