沢田研二 「番組に絶対必要」の時代の輝き BS─TBSの永久保存特番
2023年06月12日 08:45
芸能
BS─TBS「沢田研二 華麗なる世界 永久保存必至!ヒット曲大全集」(13日後9・00~10・54)は、沢田が1970年代、80年代にヒットさせた曲の数々を「輝く!日本レコード大賞」や「ザ・ベストテン」などの映像でたっぷり聴かせる特番だ。
番組を企画・演出した田代誠氏は制作の発端をこう振りかえる。
「元々、沢田さんの大ファンでした。僕がディレクターになりたての頃、沢田さんがレコード大賞を受賞したことを題材にした特番を作り、沢田さんがザ・ベストテンで飛ぶ鳥を落とす勢いの時、2本目の特番を作りました。機会があればもう1本作りたいと長い間思っていましたが、沢田さんの衣装デザインを担当していた早川タケジさんの豪華な作品集が出版されたり、沢田さんが主演映画「土を喰らう十二ヵ月」で映画賞を受賞されたりして沢田さんの周りが動き始めたことを感じ、今がチャンスかもしれないと思いました」
番組の制作、過去の映像の使用などを実現するためには本人の許可が不可欠だった。
「最初はどこから手をつけて良いのか分かりませんでしたが、2月に新潟でコンサートを行うことを知って、コンサートのチケットを買って新潟まで行きました。事前に、コンサートを主催しているイベンターさんを通じて『お会いできませんか』と伝えたところ『コロナ禍で無理』と言われていたので、手紙を持参しました。でも、沢田さんは僕の名前を覚えていてくれて、当日、会場に行ったら『新潟まで来てくれたのなら…』ということで会ってくれました。いきなり番組の企画の話をするのはぶしつけ過ぎると思ったので、その時はごあいさつだけして、マネジャーさんを紹介してもらいました」
帰京後、企画書をマネジャーに提出。沢田は近年、テレビと近い関係になく、断られることも予想されたが、後日、承諾の返事を受けた。
「お願いしておきながら、僕自身が驚きました。なぜ同意してくれたか、聞くわけにもいかないので、理由は分かりません。以前の特番の時もそうでしたが、沢田さんは番組への要望をおっしゃらないし、選曲などに関しても何もおっしゃらない。こちらに任されたことが逆にプレッシャーになりました」
番組では、最初と最後に沢田のナレーションが流れ、直筆の文字も映し出される。
「ナレーションと文字をお願いした理由は二つあります。一つは、この番組が、過去のヒット曲の数々を流して沢田さんの歌人生を振りかえる構成になっていることです。最初と最後にご本人の言葉がないと物語が始まらなしい物語が終わらないと思って『番組の表紙と裏表紙をいただきたい』とお願いしました。もう一つは、ご本人のお墨付きの必要性を感じたことです。ゲストの出演交渉の時に『本人はこの番組の企画を知っているのですか?』と確認されたので、本人に無断でやっていないということを視聴者にも明示した方が良いと考えました」
ナレーションの収録と文字の執筆は東京・赤坂のTBSで行われた。
「こちらからどこかに出向こうかと思っていましたが、沢田さんの方から来てくれました。朝から緊張しました。番組の趣旨を改めて説明して、後は昔話をして、TBSの番組に出演した時の思い出話もうかがいました」
番組には黒柳徹子、芳村真理、岸部一徳らがゲスト出演。その人たちの言葉によって沢田の人物像や魅力が浮き彫りになる構成になっている。「ザ・ベストテン」で沢田と共演したことがある世良公則が「当時、日本の音楽界にロックシーンみたいなものがあったら、おそらく沢田さんが最初にロックバンドを成功させた人だと思っていた」と証言するのが印象的だ。
田代氏は「ザ・ベストテンの頃はニューミュージックの人たちが出始めて歌謡界の人たちが劣勢になっていく時代でした。僕もザ・ベストテンに関わっていましたが、沢田さんは歌謡界の最後の砦みたいな感じで番組に協力して頑張っていました。テレビに対して非常に協力的だったのです。そんな沢田さんを結果的に番組から遠ざけてしまったという自己批判も盛り込みたかったのですが、今回はそこまで行き着けませんでした。沢田さんは覚悟の決め方、度胸は普通の歌手とは違います。そんな姿勢や音楽に対する向き合い方がこの番組を通じて多くの方々に伝われば良いと思います」と胸の内を明かした。
◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局総合コンテンツ部専門委員。テレビやラジオ、映画、音楽などを担当。