「どうする家康」武田勝頼また忠告無視…穴山信君“裏切りフラグ”とネット話題「まさか」瀬名の夢に参画も

2023年06月29日 11:00

芸能

「どうする家康」武田勝頼また忠告無視…穴山信君“裏切りフラグ”とネット話題「まさか」瀬名の夢に参画も
大河ドラマ「どうする家康」第24話。武田四郎勝頼の決断に、穴山信君(田辺誠一)は…(C)NHK Photo By 提供写真
 嵐の松本潤(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「どうする家康」(日曜後8・00)は今月25日、第24話が放送された。話題のシーンを振り返る。
 <※以下、ネタバレ有>

 「リーガル・ハイ」「コンフィデンスマンJP」シリーズなどのヒット作を生み続ける古沢良太氏がオリジナル脚本を手掛ける大河ドラマ62作目。弱小国・三河の主は、いかにして戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのか。江戸幕府初代将軍を単独主役にした大河は1983年「徳川家康」以来、実に40年ぶり。令和版にアップデートした新たな家康像を描く。古沢氏は大河脚本初挑戦。松本は大河初主演となる。

 第24話は「築山へ集え!」。瀬名(有村架純)と松平信康(細田佳央太)が各地に密書を送り、武田方をはじめ多くの者が築山を訪ねていることを知った徳川家康(松本潤)。これが織田信長(岡田准一)に伝われば、命より大事な妻子を失うことになる。苦悶の末、家康は石川数正(松重豊)らと共に築山へと踏み込む。しかし、家康を待ち構えていた瀨名は、内々に進めていた途方もない計画を明かし…という展開。

 瀬名が描いた“夢”は、国々が与え合う「慈愛の国」だった。穴山信君(田辺誠一)と千代(古川琴音)もたぶらかされた。

 家康と武田四郎勝頼(眞栄田郷敦)は非交戦に合意。密約の通り、遠江・高天神城をめぐる攻防は双方が“カラ撃ち(空砲)”。信長の目を欺いた。

 天正7年(1579年)。なかなか落ちない高天神城に、信長は「徳川の目付はおまえだろうが!」と佐久間信盛(立川談春)を叱責。家康一家に平穏な日々が訪れた。

 しかし、それも束の間。勝頼は信君と千代を呼び出し「よい頃合いかもな」「すべてを明るみに出す頃合いよ。噂を振りまけ。徳川は織田を騙し、武田と裏と結んでおると」「すまんな。やはりわしは、女子(おなご)のままごとのごとき謀(はかりごと)には乗れん。仲良く手を取り合って生き延びるぐらいなら、戦い続けて死にたい」と裏切りを決断した。

 「信長の耳に入れてやれ!信長と家康の仲が壊れれば、わしらはまだ戦える」「あの2人に戦をさせよ!わしは織田、徳川諸共滅ぼす!」「穴山よ!この世は戦いぞ。戦いこそが我らの生きる道ぞ!我が夢は、父が成し得なかったことを成すこと。天下を手に入れ、武田信玄を超えることのみじゃ。築山の謀略、世にぶちまけよ!」――。

 穴山は「なりませぬ。人心が離れます!」「私は、戦のない世をつくるという築山殿…」と忠告したものの、勝頼の信念は揺るぎなかった。

 第22話(6月11日)、「長篠・設楽原の戦い」(天正3年、1575年)の際も、穴山は「鳶ヶ巣山砦、敵の手勢に襲われ、落ちましてございまする。引き揚げのお下知を!急がねば、逃げ道を塞がれます」「(武田信玄なら)間違いなく、引くことと存じまする」と進言。しかし、勝頼は「手堅い勝利を100重ねようが、1の神業には及ばぬ」と敵陣に突っ込み、織田軍の鉄砲隊に屈した。

 史実としては、智将・穴山信君は天正8年(1580年)に出家し「梅雪斎」と名乗った。その後、武田家から離反。織田・徳川陣営へ。天正10年(1582年)5月には徳川家康に随行して安土城を訪れ、織田信長に謁見。しかし6月、「本能寺の変」が勃発。家康と命運を分ける。

 SNS上には「穴山の裏切りフラグが完全に立ったのが印象的」「先週まで『この勝頼なら武田は滅びん』と思うたが、やはり父が基準なんじゃなぁ。『人心が離れます』の穴山の台詞と『はあ?』みたいな千代の表情が素晴らしかった。これなら穴山も織田方に寝返るじゃろう」「まさか築山殿の企みに穴山信君を絡ませて、武田滅亡時の裏切り(家康への内通)の布石を打つとは。大胆なストーリーだけど、必ずしも史実と矛盾はしていないのも見事。フィクションとしての歴史ドラマの有り様を切り拓いてるな」「アクロバティックな展開なのに、瀬名も信康も穴山も勝頼ですら史実に着地しようとしてるんだから、凄くね?」「凄いな。築山殿・信康事件をこう描くとは…瀬名構想→徳川・武田密約を戦線こう着の裏事情にしたり、その破綻から武田氏滅亡の伏線(穴山離反?)を張ったり。さらに『(東西の)強き獣と強き獣は、ただにらみ合うのみ』という台詞は、のちの秀吉と家康の対峙を暗示するかのようだ」などの声も上がり、反響を呼んだ。

 次回第25話「はるかに遠い夢」(7月2日)は、ドラマ前半最大のクライマックス。築山殿(瀬名)が処刑され、松平信康が自害した悲劇「築山殿事件」「信康事件」(天正7年、1579年)が描かれる。

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