島根のジャイアン 開星高2年夏の甲子園での“ガッツポーズ事件”真相告白 「真っ白になっちゃって」

2023年08月19日 10:43

芸能

島根のジャイアン 開星高2年夏の甲子園での“ガッツポーズ事件”真相告白 「真っ白になっちゃって」
横浜時代の白根尚貴氏
 ソフトバンク、横浜でプレーした元プロ野球選手の白根尚貴氏(30)が18日放送のABEMA「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(毎月第1~3金曜後9・30)に出演。高校2年夏の甲子園でのガッツポーズ事件を振り返った。
 島根県出身の白根氏は開星高校のエースとして甲子園にも出場している。だが、当時は「島根のジャイアン」と呼ばれ、「試合の途中で帰宅」など傍若無人な態度を続けた挙げ句、高2夏の甲子園予選まであと3カ月という大切な時期に「不祥事で無期停学処分」になってしまったという。家族、チームメイトに迷惑をかけた過去を猛省した。

 野球の練習は中学の所属チームの監督に声をかけてもらい続けていた。そうして処分を受けて2カ月がたとうとした頃、学校から突如停学処分の解除の連絡が。現阪神の糸原健斗を先頭に3年生のチームメイトが学校側に処分の解除を直談判してくれていたのだという。先輩の行動は卒業後知ったというが、「バカな自分のためにたくさんのチームメイトが動いてくれたことに感動しました」と振り返った。

 そうして夏の甲子園予選に出場。背番号は1番ではなく20番での出場となったが「絶対に俺が甲子園に連れて行く」と強い気持ちで挑んだ。結果、全5試合で与えた失点はわずかに1、コールド勝ちのため参考記録となったが2試合でノーヒット・ノーランという好投を見せチームを甲子園へと導いた。

 「今振り返ってもこの時期が僕の野球人生の絶頂じゃなかったのかなと思うぐらいの」状態だったが、再び背番号1で迎える甲子園本番を前にひじの激痛でキャッチボールすらできないというアクシデントに見舞われてしまう。もともとひじに痛みはあったというが、「予選を全試合投げたことで限界を迎えてしまって。ボールを握っても痛い。力を入れたらプルプル震えてしまうような状態になってしまって、とても投げるような状況ではなくなりました」と回顧した。

 相手は強豪の仙台育英。「痛いとは言え、投げなきゃいけない」と白根氏は「当時チームメイトにも言ってなくて、13年越しに初めて言うことです」とひじに直接痛み止めを打って登板することを選んだ。

 そうしてマウンドに上がると、「仙台育英高校はレベルが段違いで、島根予選では無双しましたけど、今まで三振を取れていた球が全部当てられる、見逃されるっていう。全く三振が取れない状態が続いて、なぜかここで痛み止めの効果がなくなってきちゃう。7回ぐらいまではもってたと思うんですけど、そこからは痛みとも闘いながら」という事態に。

 「後半はひじも痛くて、思うところに投げられない状態」だったが「自分が投げるしか勝てない」と思い力投。この試合では打撃でも奮闘、「5打席立って二塁打2本とホームラン1本」「5点のうち3点は僕が」と明かした。

 試合は8回を終えた時点で5-3とリード。9回、2死満塁の危機を迎えるも、あと1人抑えれば勝利となる場面となった。打席に立ったのはその日唯一無安打に抑えていた2番打者。「ただスタミナ的にもひじの痛みも限界に来てたので、無理に三振狙いに行って力勝負をしてデッドボールとか、暴投とかしてしまったら、同点、逆転といってしまうので、ど真ん中にスライダー。振らしちゃおうという大きな賭けに」出ることにしたという。

 そうして思ったところに投げ込んだ結果、「センターフライ。完全に打ち取った打球でした」「自分の中で大きな賭けに勝てた」と無意識のうちにガッツポーズをしていたという。「謹慎をみんなに解いてもらって、注射も打って、最後の最後の大きな駆け引きに勝って、やっと終わったっていうところから、こればかりは無意識にガッツポーズが出ちゃいました」と振り返った。

 だが、そのボールをチーム1の守備の名手と言われていたセンターがまさかの落球。その選手は小、中、高と同じチームでプレーしていた先輩だったとし、「エラーするわけないと信じてたので、落とした瞬間は見てないし」と続けた。その後白根は試合終了まで一切の記憶がないとし、「落としたことで真っ白になっちゃって。次の打者を抑えたことも、その時はひじの痛みも忘れてて、気付いたら、味方の応援をベンチでしてたっていう状態に」。逆転を許すと、その裏チームは無得点で敗北したとした。

 その時のチームの様子は「落球した選手を責めることは一切なく、それこそチーム1の名手だったので、“お前がするなら仕方ないよ”と。僕自身も後から自分がゴタゴタしなければ、こんなことにならなかったって反省したし、それぞれ選手みんなも自分たちにもっとできることが何かあったんじゃないかっていうふうに考えたので、批判的なことは一切なく」と説明した。

 その選手は「しゃべれなくなっちゃって。学校にもその後来れない時期もあったり」したというが、「僕たちがあまりにも普通に接するので、なんとかしっかり持ち直してくれて。本当にうれしかったのが大学に行って野球をしてくれたんですね。これで野球を嫌いになるんじゃなくて、そのまま大学で野球を続けてくれたので、それは一番うれしかったなと思います」としみじみと話した。

 最後の開星の攻撃は、糸原の打球を相手が大ファインプレーを見せて終了したとし、「エラーで逆転され、ファインプレーで敗北という、これも抜けてればサヨナラの場面だったので、9回2死一、二塁で」と回顧した。

 その後、白根氏は「13年間、ガッツポーズをいじられる毎日」「ネットの方も加速しまして、今度はガッツポーズのスレッドが立ちます」と苦笑した。 
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