大泉洋 東京進出をした際に北海道の番組Dから送られた「忘れられない言葉」とは 「つらい道になると…」
2023年09月03日 16:47
芸能
役者としての作品への向き合い方が話題となると、大泉は「僕は大学時代にバラエティーに出ちゃったんです。北海道でね。『水曜どうでしょう』ってバカバカしいバラエティーに出てた」と96年にスタートした北海道テレビ放送(HTB)の名物バラエティー番組に出演していたと回顧。「その時にね、忘れられない言葉があるんですけど」と続けた。
「東京でお仕事をするようになる。役者の仕事をするようになった時に、藤村(忠寿)っていういつも(同番組で)一緒に出てるディレクターがいるんですけど。彼からメールが来たことがあって」。そのメールには「お前は今まで役者でありながらバラエティーっていう分野で好きに泳いでたんだ」「でもお前は今度いよいよ東京で役者の仕事をするから、ここからはお前は言い訳がきかなくなるから。お前にとってはなかなかつらい道になると思うよ」といった内容に加え、「それでもお前はすぐに自分のフィールドを見つけて、自分の海のようにスイスイ泳ぐんだろうな」とも書かれていたと明かした。
大泉は「凄くそれ分かるワケ」と強調。「確かに俺は、“俺、役者だから”って言ってバラエティーができるっていうの?。だから気楽にできる。それは役者ってなった時にやっぱ硬くなるっていうの?“役者なんだからできるよね?”ってなっちゃう」と話し、「だからYOUさんのようにどこに行っても気楽にやれる。なんか究極だなって思う」と自然体で挑むというYOUの姿勢をうらやんでいた。