市川猿翁さんが不整脈のため死去、83歳 香川照之の父 5000回を超える宙乗りギネス登録
2023年09月15日 23:07
芸能
市川猿翁さんは、三代目市川段四郎の長男。1947年(昭22)1月東京劇場「二人三番叟」の附千歳で三代目市川團子を名のり初舞台。1963年(昭38)5月歌舞伎座「吉野山」の忠信、「黒塚」の鬼女などで三代目市川猿之助を襲名。2012年(平24)年6月新橋演舞場「口上」、7月新橋演舞場「楼門五三桐」の真栄久吉で二代目市川猿翁を襲名。1968年(昭43)4月国立劇場「義経千本桜川連法眼館」で、狐忠信の宙乗りに挑み、ケレンの芸の復活は大きな話題を呼んだ。
以後、宙乗りを数々の作品に取り入れ、5000回を超える偉業はギネスブックにも登録されている。「加賀見山再岩藤」「伊達の十役」、「當世流小栗判官」などをはじめとする復活通し狂言、古典の新演出、新作の創造に意欲的に取り組む。「スピード」「ストーリー」「スペクタクル」の3Sを重視して、現代に生きる歌舞伎を探求する姿勢は、1986年(昭61)スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」に結実。「オグリ」、「新・三国志」シリーズなど数多くの作品を創り上げた。
活躍の場は国内に留まらず、海外においての歌舞伎公演またオペラの演出にも及ぶ。1964年(昭39)に「猿翁十種」、1975年(昭50)に「澤瀉十種」、1988年(昭63)に「猿之助十八番」を家の芸として制定。2010年(平22)にはこれまでの創造活動を踏まえて、新たに「猿之助四十八撰」を制定した。
最後の舞台は2013年(平25)12月南座「襲名披露口上」。1976年度(昭51)芸術選奨新人賞、1987年(昭62)フランス文化芸術勲章オフィシエ、1989年(平元)芸術選奨文部大臣賞、1994年(平6)外務大臣表彰、2000年(平12)紫綬褒章、2010年(平22)文化功労者。