松村雄基 18歳から20年間祖母の介護 トイレ介助に当初は困惑「女性だし、男手は嫌だろうなと…」
2023年09月20日 14:28
芸能
今でいう「ヤングケアラー」を経験したが、「最近ではそう言うみたいですね。僕は、生まれてからは親とか周りの家族に面倒見てもらって大きくなる。大きくなって親の面倒を見るのは当たり前だと思ってたので、世話になったおばあちゃんが具合悪くなったんだから僕ができることはやろうっていうのは当たり前で。特別な意味はなかった。祖母の教育がそうだったんでしょうけれど」と振り返った。
自宅での介護ではいわゆる「下の世話」もしたといい、「最初は女性だし、僕がそんなことしていいのかと…それに、トイレに何度行っても出なかったり。昼夜が逆転するので深夜なんですよね。明日朝6時から撮影っていう時でも深夜1、2時に起きて、トイレ終わるのを待ってたり。最初は微妙なことだし、祖母の尊厳があるから孫とはいえ男手は嫌だろうなと思ってましたけど、そんなこと言ってられない。後半は全然大丈夫になりました。いろんなことがありましたから…」と語った。
10年間は叔母夫婦と3人日替わりで祖母の部屋に泊まり込みながら面倒を見てきたが、「だんだんきつくなってきて、祖母にも厳しくあたるようになって。思い通りにいかないことをぶつけるようになって関係が厳しくなった。叔母と相談して、特別養護老人ホームという、プロにゆだねることも考えようと。祖母に話したら、『行くよ』って笑顔で言ってくれました。認知が進んでいた部分もあったんですけど、そのあたりはまだしっかりしていまして。10年たったころから施設に移りまして」。
叔母は毎日施設に通い、松村自身も時間を見つけては訪問。「プロにゆだねた結果、優しい気持ちで接することができるようになった。お互い良い関係になれたんです。あの時、医療関係やケアの方にお世話になって良かったと思いました。全然違いましたね、笑顔が増えました」と回想した。
祖母は2000年8月に88歳で死去。施設の職員が気づかないうちに、眠るように息を引き取ったという。仕事で九州に滞在していた松村は翌朝一番の飛行機で帰京。祖母のもとに駆け付けた後、舞台の本番初日というハードスケジュールを乗り切った。
同じような立場で、若くして介護をしている人に向けて「一人で悩まないでということを言いたい。辛い時は声を挙げる。全部自分で解決しようといないで弱音を吐くということが必要。恥ずかしいと思わないでほしいですね。それは当たり前のことだから」と呼びかけた。