「BUCK―TICK」櫻井敦司さん急死、57歳 19日ライブ中に倒れ… 悪の華などビジュアル系草分け

2023年10月25日 05:00

芸能

「BUCK―TICK」櫻井敦司さん急死、57歳 19日ライブ中に倒れ… 悪の華などビジュアル系草分け
BUCK-TICKの櫻井敦司さん Photo By スポニチ
 ビジュアル系バンドの草分けで、現在も活動中の5人組ロックバンド「BUCK―TICK(バクチク)」のボーカル、櫻井敦司(さくらい・あつし)さんが、19日午後11時9分に脳幹出血のため死去した。57歳。群馬県出身。葬儀は近親者で執り行った。後日、しのぶ会を開く。19日夜、横浜市内でのライブ中に体調不良を訴え、救急搬送された病院で息を引き取った。あまりにも衝撃的で突然の別れに、音楽仲間、ファンに悲しみが広がった。
 櫻井さんの所属事務所はバンドの公式サイトで「57歳というあまりに早すぎる旅立ちでした。いまだ信じられない思いがいっぱいで気持ちが混乱しており、メンバー、スタッフ共に言葉に表すことができないほどの深い悲しみです」とコメントを発表。誰もが櫻井さんの死を受け入れられない様子だ。

 急逝した19日はKT Zepp Yokohamaで公演を行っていた。午後6時半に開演し、櫻井さんは1曲目の最後、ステージの階段を下りる際にふらついて転倒。すぐに立ち上がれなかった。3曲目「絶界」の歌唱後にスタッフを呼び、肩を借りて2、3分話した後に歩いて退場した。

 メンバーも駆け寄り、ギターの今井寿(58)が「ちょっと休憩」と観客に伝えた。だが再開することはなく、そのまま中止。櫻井さんは会場から救急搬送されたが、数時間後に息を引き取った。

 1984年、今井ら群馬県立藤岡高校の同級生とバンド「非難GO―GO」を結成。85年にBUCK―TICKに改名した。同じ群馬出身の「BOOWY」の後継として、87年にメジャーデビュー。88年のシングル「JUST ONE MORE KISS」のヒットでブレークし、89年12月に東京ドーム公演を成功させた。最大のヒットは90年の「悪の華」。「LUNA SEA」と一緒にツアーを行うなど、その後のビジュアル系ブームで活躍した多くのバンドマンに影響を与えた。

 フロントマンの櫻井さんは、華やかで悪魔的なルックスと、艶やかで張りのある低音ボイスが特徴だった。多くの曲の詞も手がけた。デビュー当時のレコード会社の担当者、豊島直己さんは「歌詞に寄り添うような、ストレートな歌い方が秀逸だった」と語った。

 同時代に活躍した「RED WARRIORS」のダイアモンド☆ユカイ(61)は「髪の毛を逆立てたツンツンヘアをメンバー全員でやった最初のバンドで、みんながまねした。あっちゃん(櫻井さん)は一時期、フランスの詩人ボードレールに凝った時期があり、詞の世界観が深まっていったと思う」と振り返った。

 9月にデビュー35周年ツアーを終え、新たなスタートを切った直後だった。今井はSNSに「ずっと、あっちゃんの横でギターを弾いていたかった。ま、でもね。続けるからね♪大丈夫」と、天国の櫻井さんに呼びかけた。


 ≪結婚→不倫→離婚→再婚 恋多き人生≫ 櫻井さんは恋多き人生でもあった。メジャーデビュー後、セクシー女優との交際が発覚。91年には元専属スタイリストの女性と結婚し、1児をもうけたが、アイドル女優との“不倫”も報じられた。その後、離婚し、2004年に一般女性と再婚を発表。当時、公式サイトで「2人を取り巻くすべてのものに感謝と愛を込めて」とコメントを発表していた。

 櫻井 敦司(さくらい・あつし)1966年(昭41)3月7日生まれ、群馬県出身。バンド結成当初の担当はドラムだった。初代ボーカルの脱退後、志願してボーカルに就任。ほとんどの曲で詞を手がけ「スピード」「JUPITER」などがヒット。ソロ活動も積極的に行った。

 ▽BUCK―TICK(バクチク) ボーカルの櫻井敦司さん、ギターの今井寿と星野英彦(57)、ベースの樋口豊(56)、ドラムのヤガミトールの5人組。バンド名は今井が「華があって過激で誰もが覚えやすい」と命名した。89年のアルバム「TABOO」で初のオリコンチャート1位を獲得。デビュー後に一度もメンバー変更がなく、89年に半年間謹慎したことを除き、活動休止も解散もせずに続いている希有(けう)なバンド。

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