カンニング竹山 幼少期は「ベンツ」で幼稚園 裕福な生活も父の会社が倒産 父他界後は借金が、金庫には…
2023年10月25日 15:02
芸能
父からは「弁護士になれ」と言われて育ち、「親に強制的に3年半とか4年ぐらいバイオリンをやらされてたんですよ。それが嫌で嫌で」全く練習せず、上達しなかったと振り返った。
だが、父の会社は「小学校3年生ぐらいの時に倒産しましたね」と竹山。「人が良すぎたっていうのは聞きますけどね。僕も幼かったのではっきり分かんないですけど」としたものの、「そっから生活結構変わりましたかね」と回顧した。
「俗に昔で言うちょっと怖めの人がガンガンガンガン来たりとか、父と仲いいと思っていた人たちが凄くひょう変してと言うか、“お金返せやー!”って来たりとか、怖かったですね」「本当に泣いてました。毎晩。母と兄が一番大変だったんじゃないですかねえ。幸い家は持ち家だったんで売らずにずっと来てたみたいで」と明かした。
それでも竹山が高校生になるとバブル期となり、「父が不動産で大もうけしたんですよ」と再び暮らし向きが良くなったという。「土地を売買するじゃないですか、でそれで結構大もうけして、古い家をリフォームしたりとか、またそれこそベンツみたいなのが来たりとか」という生活に。だが「ちょうどバブルの終えんと同時に父が脳出血で倒れて亡くなったんですよ」と父が他界した。
母や兄、自身は父が「いったい何の仕事を、どういう感じでやっていたのか我々分からなくて。それを調べなきゃいけなくて」という事態に。自身も兄も当時は東京に住んでいたが、福岡の裁判所から手紙が届き、「で、開けたら僕が13億円の借金を背負ってることになってて。で、それが裁判になってるんですよ」と驚きの出来事があったとした。
兄も同じように借金をしたことになっているとの連絡が来たとし、「これなんだっていう話になって。で調べたら、父が勝手に僕等の名義で金借りてたんですよ」と判明したという。
「ろくでもないでしょう」。結局「遺産を放棄して、売れる物は全部売って」処分したが、中には父が残した金庫もあり、誰も開け方を知らなかったために鍵屋を呼んで開けてもらうと、「中には兄貴と姉と僕の小学校からの絵とか、通知表とか、ちょっとだけ僕が地元でテレビとか出てたんで、テレビに出た時の新聞とか、ビデオテープとか、そんなんしか入ってなかったんですよ」とぶっちゃけた。
「で、今でも覚えてますけど、僕は立って後ろで見てたんですけど、兄が座りながらばっと見た時肩震えながら、“ばかやろう”って言ったんですよ。“ばかやろう、あのクソ親父”って言ったの、その言葉でなんか泣けちゃって、っていうのがありましたね」としみじみと話した。「まあ子供にだけは愛情があったんだなあっていうのは今になって思いますよね」と続けた。
「ちょうど52で亡くなってますから。その年に今なっちゃったから」とも語った。