井川慶氏 ヤンキース時代を回顧 結果出ず酷評も「英語なんで、全く…」松井秀喜氏との当時の交流も明かす
2023年11月02日 16:28
芸能
この日はお笑いコンビ「藤崎マーケット」と共にトークを展開。井川氏は06年に入札制度を利用してヤンキースに移籍したが、「ポスティングフィー(入札金)はまあ球団に入るんで、30億(円)くらいですかね。球団ですよ、自分には入ってないですよ」と言い、「自分は給料で、5年で当時20億くらいですかね」と明言した。
しかし当時は結果を残せず、失敗と酷評されることも。藤崎マーケット・田崎佑一が「(メディアやファンから)酷評と言うか。言われた時の心境はどうでした?」と尋ねると、井川氏は「まあ言われてるんだろうけど英語なんで、全く分かんないですよね」と平然。「分かんないし、まあ阪神の時もずっと言われてたんで。ブーイングされてるだろうけど、まあまあブーイングされようがどうでもいいやって感じですね」と振り返った。
精神的につらかったことを聞かれると、「まあヤンキースに入って、あんまり自分のことを知らないで獲ったなっていうのが分かったんで、大事にされてるのかどうかっていうのがちょっと怪しいなと。だいぶ大金は払ってもらって獲ってもらってるはずなんですけれども」と回顧。日本時代の成績を知っているはずだと言われても、「見てるんですけど、なんかGMとかに聞くと、“お前は何の球が一番得意なんだ?”という話になったんで、“あれ、見てないの?”みたいな感じで」と苦笑した。
日本との野球の違いについては「日本の場合はバッテリーでバッターを抑えにいくんですよ。共同作業でバッターを抑えるんですけど、どっちかと言うとアメリカはピッチャー中心というか。キャッチャーは受けるだけ。サインは出してくれるんですけど、“何投げたい?”って感じですよね。だから配球とかは関係ないですね」と説明。「打たれたら全部ピッチャーの責任ですね。怒られもしないですね。どうせ変わるんで。結果出なかったら下に行くだけなんで」と語った。
その後メジャーで結果を残せなかった井川氏はマイナーリーグへ。過酷な環境だったかと問われると、「マイナーの通勤、移動が結構大変っていうか。毎日210キロ、片道ですね。往復420キロ」と井川氏。「2時間半ぐらいで着きますけど、毎日2時間半、2時間半で5時間ぐらい。車で行ってました。自分で運転しました」と続けた。それでも当時については「つらかったというよりも、楽しかったというのが多かった。こんなの日本で経験できないんで。凄く楽しんでやってましたね」と語った。
また、ヤンキースの凄いところを聞かれると、「選手とかも総年俸も凄いですけど、移動にプライベートジェットで行くじゃないですか。降りたらそのままパトカー先導でホテルまで行けたりとか球場まで行けたりとか」。田崎が「国賓やん!」と驚くと、井川氏は「そんな感じです」とうなずいた。高年俸の選手は自身のプライベートジェットを所有していたとも話した。
選手と飲みに行くなどの交流はあったかとの質問には、「あんまり向こうの人は飲まないっていうか。バーでちょっと飲むくらいで、そんな飲む席はあまりないですね」と回答。チームメートには松井秀喜氏もおり、「松井さんとも一緒だったんで、松井さんとはご飯も一緒に何度か」と明かすと、「松井さん凄い気を遣ってくれるんで、もうリラックスしながら食べてましたね」としみじみと話した。