「どうする家康」忠勝とっくに主君と認めていた!第2話→超ロングパス伏線 山田裕貴の細かすぎるアドリブ
2023年11月19日 20:45
芸能
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「リーガル・ハイ」「コンフィデンスマンJP」シリーズなどの古沢良太氏がオリジナル脚本を手掛ける大河ドラマ62作目。弱小国・三河の主は、いかにして戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのか。江戸幕府初代将軍を単独主役にした大河は1983年「徳川家康」以来、実に40年ぶり。令和版にアップデートした新たな家康像を描く。古沢氏は大河脚本初挑戦。松本は大河初主演となった。
本多忠勝は生涯戦うこと57回、かすり傷一つも負わなかったと謳われる戦国最強武将の1人。大高城への兵糧入れに成功したものの、「桶狭間の戦い」(永禄3年、1560年)で「今川義元(野村萬斎)討たれる」の報に逃走した松平元康(徳川家康)(松本潤)を浜辺から連れ戻した。元康が岡崎・大樹寺で切腹を試みた際には、介錯を申し出。「俺の真の望みは、いつの日か、お主を主君と仰ぎ、お主を守って死ぬことであったわ」と吐露した。
同じ天文17年(1548年)生まれの榊原康政(小平太)(杉野遥亮)とは“平平コンビ”として家康を支えた。初回の兵糧入れから第43回(11月12日)の関ヶ原まで、最も長く家康と戦を共にした家臣となった。
そして、第44回は「徳川幕府誕生」。家康は大坂城に戻り、関ヶ原の戦勝報告。茶々(北川景子)から豊臣秀頼と孫娘・千姫の婚姻を強いられ、不満があらわになる。時は流れ、慶長8年(1603年)、征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いた家康。ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)らと国づくりに励む…という展開。
家康は徳川秀忠(森崎ウィン)を叱責した後に“帝王学”を指南。1年のうちに征夷大将軍を引き継ぐと伝えた。
「関ヶ原は、まだ終わっておらぬ」と家康から頼りにされた2人だが、康政は腸(はらわた)、忠勝は目を患う。再び伊勢・桑名。「老いには抗えん。無念だが、我らはここまでのようじゃ。役目は、終えたのだ」と立ち去る康政を、忠勝が引き留め「わしは、認めん!殿を守って死ぬのが、わしの夢じゃ。老いなど認めん。見届けるまで、死ぬな!」――。
盟友が“最後の槍”を交える。若かりし頃の機敏な動き。「やるではないか。大樹寺の小僧」(忠勝)「お主もな。礼儀知らずのあほたわけ」(康政)――。
縁側。盟友の“最後の会話”。
康政「認めておるのであろう。殿のことを主君と。いつからじゃ」
忠勝「大樹寺。桶狭間の後の」
康政「同じじゃな、わしと」
(回想:第2回「兎と狼」1月15日)
家康「わしは寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた武神の生まれ変わりじゃ!そなたたち(家臣団)のことは、このわしが守る!わしが守るんじゃ!」
忠勝「道を空けーい!」
康政は家康の背中を目に焼きつける。
康政「まだ見ていたいのお、あの背中を」
忠勝「睨みを利かせてな」
康政「そういうことか?」
2人は笑い合った。
康政は慶長11年(1606年)、忠勝は慶長15年(1610年)、家康より早く天に召された。
初回(1月8日)、大高城から逃げ出した家康を捕らえた浜辺の格闘。忠勝は「恥ずかしくないのか!主君などと、俺は認めぬ」。2人の関係性、絆の象徴となった台詞だが、最後もリフレインされた。
第2回のラスト。自害を踏みとどまった家康は大樹寺の門を開き、騙し討ちに遭った松平昌久(角田晃広)に咆哮。威厳を示し、岡崎城に帰還した。
大樹寺の開門シーン。山田は「殿が『わしが守るんじゃ!』と叫んだ後、忠勝は『この人、凄いな』と一歩引き下がっているんですけど、実は台本にない動きを僕から提案させていただきました。それ以降、武田信玄(阿部寛)や織田信長(岡田准一)が目の前に現れても、退くのはやめにしようと。『自分を引き下がらせたのは、この男(家康)しかいない』と僕の中での設定を作りました。そうしたら、最後の最後に、もう大樹寺の時に認めていたという小平太との会話が増えていて。自分なりの忠勝が完成したのかなと思いました」と感慨深げ。第2回の細かすぎるアドリブが伏線となり、第44回へロングパス。今作の忠勝像の締めくくりに結実した。
「『最後の最後まで認めない』というより『実は早々に認めていました』という方が面白いかなと。いつまでも『認めない』と言い続けていましたけど、もちろん、内心は『もう心は打たれています』という思いで演じていました」
=インタビュー(4)に続く=