伊集院静さん死去 73歳肝内胆管がんで 妻・篠ひろ子「自分の生き方を貫き通した人生でした」
2023年11月25日 04:35
芸能
プロ野球選手を目指したが、肘を痛めて立大の野球部を退部。1972年の卒業後は電通を経てフリーの演出家に。多くのテレビCMに関わり、松任谷由実(69)や松田聖子(61)のコンサートを演出。「伊達歩」名義で近藤真彦(59)の「ギンギラギンにさりげなく」など歌謡曲の作詞も手がけた。
81年、「皐月」で作家デビュー。「最後の無頼派」とも呼ばれ、人間の孤独や哀感を描き出した。エッセーでは「大人の流儀」シリーズが累計220万部を超える大ベストセラーとなった。
ギャンブル好きで知られ、中でも競輪には夢中になった。本紙大阪本社版には80年代から30年以上にわたって競輪コラム「浪漫ギャンブラー」を寄稿。96年には伊集院さんにとって初めてスポーツ紙上で小説「ピンの一(ぴん)」を連載した。
旅打ちで好んだのは小倉競輪場(福岡県北九州市)。周囲に明かすことはなかったが、ホテルの部屋には執筆用の資料40~50冊を持ち込んで、室内は段ボールが山積みだった。朝一番で記者席に入り、締め切りギリギリで待ち構える雑誌編集者に原稿を渡してから車券に没頭していた。
周囲によると、元気だった頃の酒の量は「底なし」。サントリーのウイスキーをこよなく愛し、一晩で1、2瓶空ける酒豪ぶりだった。
私生活では3度結婚。84年8月に女優の夏目雅子さん(享年27)と再婚したが、翌年9月に夏目さんが白血病で他界した。当時ショックのあまり酒に溺れ、幻覚まで見えたという。
絶望の淵に突き落とされた伊集院さんは、師と仰いだ阿佐田哲也さんに誘われて何度も競輪場へ旅打ちに出かけていくうちに、執筆意欲が再点火。92年「受け月」で直木賞を受賞するまでになった。同時期、夏目さんの母がキューピッド役となり篠と結婚。96年から仙台市に居住していた。