山田太一さん死去 89歳老衰 ドラマ「ふぞろいの林檎たち」脚本家 17年脳出血で入院以降執筆せず

2023年12月02日 05:00

芸能

山田太一さん死去 89歳老衰 ドラマ「ふぞろいの林檎たち」脚本家 17年脳出血で入院以降執筆せず
2009年、本紙のインタビューに応じた脚本家の山田太一さん
 「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などの名作ドラマを生み出した脚本家の山田太一(やまだ・たいち、本名石坂太一=いしざか・たいち)さんが11月29日、老衰のため川崎市の施設で死去した。89歳。東京都出身。葬儀は家族で執り行う。喪主は長男の石坂拓郎(たくろう)氏。家族や人間模様をこまやかに描き出すことに秀でた一方、社会性を持たせた作品を数多く残した。2017年に脳出血で倒れ、療養生活を送っていた。山田作品に出演した俳優には悲しみが広がった。
 山田さんの死は家族がフジテレビを通じて文書で報告した。「仕事に対しては厳しく真剣でしたが、私たち家族にはユーモアにあふれ、楽しく優しい父として心に残っています。これからも父の作品を楽しんでいただけたら幸い」と願った。家族によると、最期は長女がみとった。「苦しむこともなく穏やかだった」という。

 17年1月に脳出血で倒れ、約半年間入院。奇跡的に回復したが、以降は執筆活動は一切しなかった。同8月に週刊誌に「簡単な手紙を書くのが精いっぱい」と明かし、「もう脚本家として原稿が書ける状態ではありませんが、後悔はしていません」と話していた。

 家族の男性は「コミュニケーションも取れ、自分で動けるまで回復した。ただ、次は老いが加速し、脳出血の症状を追い越してしまった。最近はこちらの言葉は理解しているようだったが、向こうからの言葉は少なくなっていた」と話した。

 東京・浅草生まれ。早大卒業後、58年に松竹大船撮影所の助監督となり、木下恵介監督に師事。65年に独立し、テレビドラマに進出した木下氏の後を追うようにドラマ脚本家となった。72年のNHK連続テレビ小説「藍より青く」が高く評価され、76年に同局で始まった「男たちの旅路」シリーズが話題作となった。

 ドラマ界の「革命」と言われたのが、自身の小説を映像化した77年のTBS「岸辺のアルバム」。実際にあった多摩川の水害を題材に、中流家庭が崩壊していくさまを描いた。ハッピーエンドがお約束だったホームドラマとは一線を画し、「辛口ホームドラマ」というジャンルを生んだ。

 山田作品の登場人物はいつも庶民。そして根底に社会性が読み取れた。83年のTBS「ふぞろいの林檎たち」は若者たちの群像劇。学歴差別が広がった時代に、四流大学の学生が就職、恋愛などの葛藤を乗り越えて、前向きに進む姿を描いた。

 こだわりは「自分にしか書けない作品」。晩年には「“誰かがやったら、同じものをやらない”という姿勢がなくなってきた。何かが当たると似たようなものを作り、多様性がなくなってきている」とドラマ界を憂慮していた。


 山田 太一(やまだ・たいち)本名石坂太一。1934年(昭9)6月6日生まれ、東京都出身。脚本を手がけたドラマは「想い出づくり。」「早春スケッチブック」「日本の面影」、NHK大河ドラマ「獅子の時代」など。映画や舞台の脚本も手がけ、90年公開の映画「少年時代」で第45回毎日映画コンクール脚本賞。小説「異人たちとの夏」で第1回山本周五郎賞、エッセーの名手でもあり「月日の残像」では小林秀雄賞を受賞した。
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