山田太一さん死去 89歳老衰 ドラマ「ふぞろいの林檎たち」脚本家 17年脳出血で入院以降執筆せず
2023年12月02日 05:00
芸能
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17年1月に脳出血で倒れ、約半年間入院。奇跡的に回復したが、以降は執筆活動は一切しなかった。同8月に週刊誌に「簡単な手紙を書くのが精いっぱい」と明かし、「もう脚本家として原稿が書ける状態ではありませんが、後悔はしていません」と話していた。
家族の男性は「コミュニケーションも取れ、自分で動けるまで回復した。ただ、次は老いが加速し、脳出血の症状を追い越してしまった。最近はこちらの言葉は理解しているようだったが、向こうからの言葉は少なくなっていた」と話した。
東京・浅草生まれ。早大卒業後、58年に松竹大船撮影所の助監督となり、木下恵介監督に師事。65年に独立し、テレビドラマに進出した木下氏の後を追うようにドラマ脚本家となった。72年のNHK連続テレビ小説「藍より青く」が高く評価され、76年に同局で始まった「男たちの旅路」シリーズが話題作となった。
ドラマ界の「革命」と言われたのが、自身の小説を映像化した77年のTBS「岸辺のアルバム」。実際にあった多摩川の水害を題材に、中流家庭が崩壊していくさまを描いた。ハッピーエンドがお約束だったホームドラマとは一線を画し、「辛口ホームドラマ」というジャンルを生んだ。
山田作品の登場人物はいつも庶民。そして根底に社会性が読み取れた。83年のTBS「ふぞろいの林檎たち」は若者たちの群像劇。学歴差別が広がった時代に、四流大学の学生が就職、恋愛などの葛藤を乗り越えて、前向きに進む姿を描いた。
こだわりは「自分にしか書けない作品」。晩年には「“誰かがやったら、同じものをやらない”という姿勢がなくなってきた。何かが当たると似たようなものを作り、多様性がなくなってきている」とドラマ界を憂慮していた。
山田 太一(やまだ・たいち)本名石坂太一。1934年(昭9)6月6日生まれ、東京都出身。脚本を手がけたドラマは「想い出づくり。」「早春スケッチブック」「日本の面影」、NHK大河ドラマ「獅子の時代」など。映画や舞台の脚本も手がけ、90年公開の映画「少年時代」で第45回毎日映画コンクール脚本賞。小説「異人たちとの夏」で第1回山本周五郎賞、エッセーの名手でもあり「月日の残像」では小林秀雄賞を受賞した。