倉本聰氏 山田太一さんしのぶ「同じ言語が通じる仲間がいなくなってしまったようで、寂しい」
2023年12月02日 05:05
芸能
太一さんは「戦友」だった。同じ言語が通じる仲間がいなくなってしまったようで、寂しい。一人になってしまったと感じている。向田邦子さんも合わせて3人で時々、食事会を開いていた。みんなテレビに対する愛情が深かったんでしょうね。だから、気が合った。
1970~80年代は情熱や意欲のある人間が多くて、一番やりやすかった。しかし視聴率が重視され、人気があるからと歌手などタレントを役者として出し始めた。向田さんも太一さんも小説の世界に入っていった背景には、そういう変化があったのではないか。
太一さんは真面目で、社会性を持った、しっかりしたテーマのものを書いていた。太一さんのドラマだけはずっと見ていたが、81年の「想い出づくり。」は「北の国から」と放送時間がかぶっていた。見られなかったと伝えると、太一さんは録画したビデオを全部送ってくれた。ある人が「倉本さんが木だとすると、太一さんは竹」と言っていたが、うまいこと言ったと思う。太一さんの方が(作品を通した)けんかの仕方がうまくて、直接ぶつからず、しなやかで強い。そういうスタンスだった。