倉本聰氏 山田太一さんしのぶ「同じ言語が通じる仲間がいなくなってしまったようで、寂しい」

2023年12月02日 05:05

芸能

倉本聰氏 山田太一さんしのぶ「同じ言語が通じる仲間がいなくなってしまったようで、寂しい」
倉本聰氏
 「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などの名作ドラマを生み出した脚本家の山田太一(やまだ・たいち、本名石坂太一=いしざか・たいち)さんが11月29日、老衰のため川崎市の施設で死去した。89歳。東京都出身。葬儀は家族で執り行う。
 ドラマ隆盛時代を同じ脚本家として生きた倉本聰氏(88)が山田さんへの思いを語った。

 太一さんは「戦友」だった。同じ言語が通じる仲間がいなくなってしまったようで、寂しい。一人になってしまったと感じている。向田邦子さんも合わせて3人で時々、食事会を開いていた。みんなテレビに対する愛情が深かったんでしょうね。だから、気が合った。

 1970~80年代は情熱や意欲のある人間が多くて、一番やりやすかった。しかし視聴率が重視され、人気があるからと歌手などタレントを役者として出し始めた。向田さんも太一さんも小説の世界に入っていった背景には、そういう変化があったのではないか。

 太一さんは真面目で、社会性を持った、しっかりしたテーマのものを書いていた。太一さんのドラマだけはずっと見ていたが、81年の「想い出づくり。」は「北の国から」と放送時間がかぶっていた。見られなかったと伝えると、太一さんは録画したビデオを全部送ってくれた。ある人が「倉本さんが木だとすると、太一さんは竹」と言っていたが、うまいこと言ったと思う。太一さんの方が(作品を通した)けんかの仕方がうまくて、直接ぶつからず、しなやかで強い。そういうスタンスだった。
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