旧ジャニーズ事務所、性加害の裏側 問題を長年封じ込めたメリー氏の秘密主義
2023年12月14日 05:30
芸能
![旧ジャニーズ事務所、性加害の裏側 問題を長年封じ込めたメリー氏の秘密主義](/entertainment/news/2023/12/13/jpeg/20231213s00041000816000p_view.webp)
芸能史上、類を見ない事態にまで発展した性加害問題。長年にわたって問題を隠蔽(いんぺい)し、被害を拡大させたことが大きな非難の対象となった。その隠蔽を主導したのは藤島メリー泰子氏だった。
1999年に週刊文春がジャニー氏の性加害を特集。これに事務所側が名誉毀損(きそん)として訴訟を起こしたが、最終的に最高裁で性加害が認められた。判決の決め手の一つになったのがジャニー氏の法廷での証言。性加害行為を証言した少年2人について「彼たちがうその証言をしたということを、僕は明確には言い難いです」と話した。
事務所の元社員は「ジャニーさんはうそをつけない人。少年たちを傷つけ、問題が公になっても仕方ないくらいの気持ちがあったのかもしれない。ただメリーさんは“性加害が事実なら裁判をこちらから起こすはずがない。事実ではない。負けたのは弁護士のせい”と譲らなかった。社員が真相や詳細を聞けるはずもない。メリーさんの説明を信じていた」と振り返る。
ジャニー氏がプロデュース面、メリー氏が経営面を担い、両輪で運営されていたジャニーズ。創業者一族は社内で圧倒的な権力を持っていた。特にメリー氏には誰も逆らえない雰囲気があり「幹部社員でも、叱責(しっせき)されている時は直立不動だった」(元社員)。3歳の時に母親を亡くしたジャニー氏にとっても5歳上の姉は“母親代わり”。生涯、頭が上がらなかった。
財布のヒモを握っていたのもメリー氏。ジャニー氏はお小遣いという形で、決まって茶封筒に入った現金を渡されていた。元社員は「その茶封筒がジャニーさんの財布代わり。古いスタッフやタレントは茶封筒を見るとジャニーさんを思い出すんだよ」と語る。
メリー氏は徹底した“秘密主義”でもあった。1980年代に事務所と仕事をしたレコード会社元社員は「メリーさんは社員を育てなかった。タレントが海外に行く時も“社員がいないから”と言って、レコード会社の社員に同行を任せていた。暴露本が出されたりしていたから、社員を増やして内部情報が漏れるのを警戒していたんだと思う」と語る。
極め付きが89年大みそか、誰も予想しなかったタイミングで開かれた近藤真彦と中森明菜による会見だ。会見が開かれることを知っていた社員はわずか数人。当日の会見前、メリー氏は社員に「紅白を見ましょう」と呼び掛け、所属タレントが出演するNHK紅白歌合戦を見るように促して帰宅させた。多くの社員は緊急会見を知って驚くしかなかった。「外部をだますには内部から」というのがメリー氏の持論だった。
秘密主義は旧事務所が巨大化しても変わらなかった。そしてメリー氏の死去から2年後、性加害問題は実態が浮き彫りになり、ジャニーズは一気に解体へと進んだ。
今月8日、マネジメントを引き継ぐ新会社の社名が「STARTO ENTERTAINMENT」と発表された。社長に就いたのはコンサルティング会社を経営する福田淳氏。米国式のエージェント制を取り入れ、事務所や芸能界の“民主化”を訴える人物だ。タレントに才能とポテンシャルがあるのは間違いない。再生はなるか。行方が注目される。
≪「茶封筒」で演出≫ ジャニー氏の「茶封筒」が演出に使われたこともあった。2011年2月12日、Kis―My―Ft2はライブ中にサプライズでデビューが伝えられた。この時にバックダンサーから北山宏光(38)に手渡されたのが茶封筒。封を開けると8月にCDデビューと書かれていた。当時の事務所関係者は「ジャニーさんらしい演出だなと印象に残っています」。キスマイファンの間では「茶封筒事件」と呼ばれ、2月12日は「茶封筒の日」とされている。
≪コンサートなど、さまざまな工夫≫ アイデアマンとして知られたジャニー氏は、コンサートや舞台の演出でも才能を発揮した。定番となったフライングなど、ステージから遠い客席でも近くに感じてもらえるよう工夫を凝らした。中でも「トロッコ」「フロート」と呼ばれる移動車にタレントが乗り、アリーナの通路を回る演出は、ジャニーズのライブが定着させたもの。特許を出願していなかったため、誰でも使えるようになったという説もある。