坂田利夫さん死去、82歳 万人に愛された「アホの坂田」 最期は「間寛平夫妻に見守られて」天国へ
2023年12月30日 23:55
芸能
吉本興業によると「『あっちこっち丁稚』(朝日放送)で共演した後輩の間寛平とは54年間の親交があり、先日は82歳の誕生日を間寛平夫妻にお祝いしてもらい、大変喜んでいました。最期も親族と間寛平夫妻に見守られながら息を引き取りました」という。
親しみやすい笑いで幅広い世代に愛された坂田さんが天国に旅立った。
関係者によると、2022年7月30日に大阪市で開かれた「さざなみ寄席」でコントを披露したのが最後の仕事。以降は表舞台から遠ざかっていた。独身だった坂田さんは数年前から高齢者施設に入所していた。
1961年に吉本新喜劇の研究生に応募し、花菱アチャコから「あの子はなんか持ってる子」と後押しを受けて吉本入り。大村崑(92)に憧れたのが芸人を目指すきっかけで、毎日放送のドラマ「番頭はんと丁稚どん」も欠かさず見ていたという。
西川きよし(77)に「漫才はもうかるでえ」と勧められて喜劇役者から転向し、67年に前田さんと「コメディNo・1」を結成。70年に第5回上方漫才大賞(ラジオ大阪主催)の新人賞を受賞し、翌71年には第1回NHK上方漫才コンテストで最優秀話術賞、72年にも第1回上方お笑い大賞(読売テレビ)で金賞に輝くなど、文字通りNo・1の勢いを見せた。
代名詞となった「アホの坂田」はセオリー破りの掛け合いがきっかけ。「お前、アホか!」とツッコむ前田さんに、坂田さんが「誰がアホやねん!」と普通に返さず「うん、アホや」と素直に答えると客席が大ウケ。アホのキャラクターに徹することで人々の「おもちゃ」となり「子供からお年寄りまでかわいがってくれるようになった」と本紙に生前語っていた。「賢く見えてしまうから」と眼鏡もかけないようにしていた。
09年7月、相方の前田さんが吉本興業とのトラブルなどを巡って無期限活動休止となりコンビも解散。坂田さんはピン芸人として再始動した。
エピソードには事欠かず、妹の結婚式で「ふつつかな妹ですが」と言うべきところを「ふしだらな妹ですが…」と言い間違えたことも。生涯独身を貫き、吉本興業内に「結婚させるプロジェクト」が発足したこともあったが、結局実らなかった。当人は「結婚できないのではなく、しないのだ。子供ができたら“アホの子”と指をさされるのが心配だから」と理由を口にしていた。
晩年を高齢者施設で過ごしていた坂田さん。施設で面会を重ねるなど家族のように寄り添ってきた間寛平(74)夫妻は悲しみに暮れているという。
坂田 利夫(さかた・としお、本名地神利夫=じがみ・としお)1941年(昭16)10月7日生まれ、大阪市出身。高校時代は成績トップクラス。お笑い芸人として息の長い活躍をし、映画「0.5ミリ」(14年)やドラマ「浦安鉄筋家族」(20年)など俳優としても存在感を示した。趣味はは虫類の飼育やストリップ観賞。