坂田利夫さん死去 笑いのため“アホ”を演じきったジェントルマン 外食中に母が涙で“反論”した過去も

2023年12月31日 00:30

芸能

坂田利夫さん死去 笑いのため“アホ”を演じきったジェントルマン 外食中に母が涙で“反論”した過去も
さすがの芸人魂&サービス精神。1997年、三輪車をこぎ「アホ」を布教する坂田利夫さん Photo By スポニチ
 素顔はダンディーで男前な師匠だった。いつもハットをかぶり、ファッショナブルな装い。70代になってもスキニージーンズをはきこなしていた。舞台の上で裸になって赤い金太郎の前掛けを着ける姿からは想像もできない。大阪・ミナミの劇場「なんばグランド花月」の楽屋ロビーではニコニコと笑顔を浮かべながら、取材の最後には「あんじょう、ええように書いてくださいな」と口にした。
 普段は口数も多くなく穏やかだが、舞台に上がるとハイテンションで「アホの坂田」を演じきった。「アホ」を全国に広めることを使命にしていて「新喜劇ファンのイチローさんから“アホさんですよね”と言われたことがある。あれは値打ちですわ」と喜んでいた姿を思い出す。

 実は私生活で「アホ」と呼ばれることはあまり好きではなかった。人気が出始めたころ、親子そろってレストランで食事中に修学旅行の学生から「アホ、アホ」とバカにされた時、母親が「この子はアホとちゃいます。仕事でやってるだけです」と涙ながらに返したエピソードも何度か聞いた。

 09年8月に41年続けてきた、前田五郎さんとの「コメディNo・1」を解散することを決めた時も真摯(しんし)に対応してくれた。当時、吉本興業とトラブルにあった相方との決別。大阪市内で直撃すると「間違いありません。ええように書いてください。これからもお客さんに愛されるように頑張ります」ときっぱり。後にも先にも解散ネタで、ここまで嫌がらずに話してくれたのは師匠だけだ。トラブルの影響で仕事が激減する中、会社を通して説明すれば済むのに、いつもと変わらない答えで認めてくれた。

 楽屋裏でも若手に「思いっきり頭をどつけよ。中途半端やとオレも痛いし、ウケへんから」と諭していた坂田さん。「感動はいらない。お客さんに笑ってもらって疲れ取れたわと思ってほしい」。最後まで格好いい芸人人生だった。合掌。
(スポーツニッポン新聞社 文化社会部長・森 俊幸)

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