篠山紀信さん死去 SNSで悲しみの声「時代を作った方」「常に新しいこと」「女性の一番美しい瞬間」

2024年01月05日 07:36

芸能

篠山紀信さん死去 SNSで悲しみの声「時代を作った方」「常に新しいこと」「女性の一番美しい瞬間」
写真家の篠山紀信さん Photo By スポニチ
 日本を代表する写真家で、ジャンルの垣根を越えて活躍した篠山紀信(しのやま・きしん、本名=みちのぶ)さんが4日、東京都内の病院で死去した。83歳。東京都出身。宮沢りえ(50)をモデルにしたヌード写真集「Santa Fe」で社会現象を起こすなど、常に時代を“先撮り”した巨匠だった。妻は元歌手の南沙織さん(69)で、俳優の篠山輝信(40)は次男。
 篠山さんの訃報に衝撃と悲しみが走った。SNSでは、「昭和、平成の時代を作った方。とても残念」「写真家として常に新しいことをやってきた方だった」「女性の一番美しい瞬間を写真に収めるイメージがあったな」など、篠山さんの功績を称える声が上がった。「宮沢りえのヘアヌードは衝撃だった」「山口百恵も篠山さんに撮ってもらうと美しさが際だった」と、それぞれが思い出を振り返った。

 また、「篠山紀信さんが撮るディズニーの仲間たちが好きなんだよな」「羽生(結弦)さんの素敵な写真を撮っていただいた」など、幅広いジャンルで愛されたことが分かる声も上がった。

 篠山さんは高校卒業後、日大芸術学部写真学科に入学。大学で学ぶ一方で、東京綜合写真専門学校に2年間通い腕を磨いた。日大在学中の1961年に広告写真家協会展APA賞を受賞。それを引っさげてライトパブリシティに就職した。

 早くから才能を発揮し、66年に東京国立近代美術館の「現代写真の10人」展に最年少で参加。76年にはベネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館に代表作家として選ばれた。初期の作品では「Death Valley」「Twins」「Nude」などが知られる。勢いは増す一方で、デビューからキャロルにカメラを向け、73年には「女形・玉三郎展」で芸術選奨新人賞を受賞。75年に雑誌「GORO」の山口百恵特集で使い始めた「激写」は流行語になった。

 日本の家を記録したシリーズ「家」を発表する一方で、78年の写真集「大激写 135人の女ともだち」がベストセラーになり、これが写真雑誌「写楽」の創刊につながった。78年から97年まで「週刊朝日」の表紙写真を担当。80年に始まった女子大生シリーズからは女優や女子アナウンサーが多く出ている。

 60年代後半からヌード写真には定評があり、69年には沢渡らとともに全日本恥毛露出連盟(ゼンチロレン)を結成して会長に就任。91年に女優の樋口可南子(65)をモデルにした写真集「Water Fruit 不測の事態」で事実上、陰毛を解禁させ、続く宮沢りえの「Santa Fe」でブームを巻き起こした。全国紙への全面広告でも話題を呼んだ「Santa Fe」は155万部を売り、同年のベストセラー7位、「不測の事態」は10位を記録した。

 他にも「三島由紀夫の家」(95年)、「完全保存版 ザ歌舞伎座」(09年)、「篠山紀信 at 東京ディズニーリゾート New MAGIC」(09年)、さらにはデジタルカメラを駆使して、「digi KISHIN」名義で多くの作品を発表してきた。

 私生活では71年にモデルのジューン・アダムスさんと結婚したが、76年に離婚。79年には前年に学業優先のため引退を表明した南沙織さんと再婚し、3人の子供に恵まれて幸せな家庭を築いた。
【楽天】オススメアイテム