55年前の日本代表監督交代

2018年04月12日 09:30

サッカー

55年前の日本代表監督交代
日本代表監督を解任されたハリルホジッチ氏 Photo By スポニチ
 【大西純一の真相・深層】ハリルホジッチ監督が解任された。3月下旬のベルギー遠征でマリに1―1、ウクライナに1―2と内容も結果も悪かったことに加えて、田嶋幸三会長は選手とのコミュニケーションに問題があったことを明かした。
 日本代表監督の解任といえば、97年のW杯フランス大会アジア予選中に加茂周監督が更迭されて岡田武史監督に交代したことが知られている。岡田監督がチームを立て直してジョホールバルでイランに勝って、ついにW杯の扉を開け、日本のサッカー史を変えた。

 長沼健会長はW杯初出場を実現させるためにぎりぎりの決断したわけだが、結果は吉と出た。最終予選が始まって1カ月半が経過していたが、選手間でわだかまりがあってチームが一丸になっていなかった。監督交代発表後選手だけで集まって「こうなったのは選手の責任だ。言いたいことを言い合おう」と、酒を飲みながらみんなで思っていたことをぶつけあったという。それでチームがまとまった。

 じつは64年の東京五輪前にも日本代表監督の解任劇があった。当初、東京五輪は60年に就任した高橋英辰監督が指揮を執るはずだったが、62年8月のアジア大会(インドネシア)は1勝2敗で1次リーグ敗退、続くムルデカ大会でも1分け2敗と不振。高橋監督への批判が強まり、東京五輪まで1年半と迫った63年春に日本蹴球協会は高橋監督を解任し、後任に当時32歳の長沼監督と31歳の岡野俊一郎コーチを就任させた。特別コーチとして日本代表の強化に力を注いでいたクラマーさんと対立したことが原因で、クラマーさんの強い進言があったといわれている。長沼―岡野コンビでチームが生き返り、釜本邦茂、杉山隆一らの若手が奮起して東京五輪でベスト8入り、そして68年メキシコ五輪で銅メダル獲得と日本代表は結果を出した。大胆な決断が功を奏したわけだ。

 今回もタイミングを考えれば大胆な決断だった。火中の栗を拾った西野朗監督はアトランタ五輪やJリーグで実績があるものの、あまりにも時間がない。できることは限られており、しかも立て直せなければ批判されると予想される中で、リスクを負っての就任だった。

 過去の例のように今回も結果が出るか。今回の監督交代劇から選手が何を感じ取り、どう変わっていくのかで成否が分かれる。そこを注目したいと思う。

 ◆大西 純一(おおにし・じゅんいち)1957年、東京都生まれ。中学1年からサッカーを始める。81年にスポニチに入社し、サッカー担当、プロ野球担当を経て、91年から再びサッカー担当。Jリーグ開幕、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯フランス大会、バルセロナ五輪などを取材。

おすすめテーマ

2018年04月12日のニュース

特集

サッカーのランキング

【楽天】オススメアイテム