ヘントFW久保裕也 研究者の仮説から生まれたストライカー

2018年05月16日 11:00

サッカー

ヘントFW久保裕也 研究者の仮説から生まれたストライカー
久保は少年時代から世界で戦えるストライカーを目指し育成されてきた Photo By スポニチ
 【ロシア代表候補 青き原点(3) 】 世界で戦える日本人ストライカーとは――。ある“研究者”が考えた仮説の逆算から生まれたのが、久保裕也(24)だった。研究者とは菅沢大我氏(43=なでしこ2部ASエルフェン埼玉監督)。育成のエキスパートだ。
 久保が菅沢氏と初めて会ったのは09年春、京都U―18に入団した時だった。山口県から飛び出してきた15歳の少年について菅沢氏は「真面目、寡黙、黙々」と第一印象。その言葉に間違いはない。3年後の12年2月。史上2人目の高校生A代表選手として注目を集める一方、ピッチを離れれば卒業試験の課題で汗を流していた。一切の甘えや妥協はなかった。

 久保は時間があれば、菅沢氏から与えられた元スペイン代表FWビジャや同FWラウルのVTRを見た。練習ではラウルらの得点シチュエーションをつくり、それを模倣した。ポジショニング、動きだし、シュートを当てる角度…。何度も反復することで、より幅広い得点パターンをマスターした。また、ある試合では「左足だけでプレーをさせられたこともある」と久保。全ては世界をイメージしたアプローチだった。

 菅沢氏は過去にFW森本貴幸(30=J2福岡)を指導した経験がある。中学3年生でプロデビューし、セリエAでの日本人最年少得点記録を持つ“怪物ストライカー”。だが「森本はセリエAではセンターフォワード(CF)のみでプレーさせてもらえなかった。2トップでない場合は出場機会が限られてしまう可能性があった」と反省した。日本人ストライカーが生きるには生粋のCFではなく、その少し後ろのポジション。そして体格や身体能力で劣る日本人には、両足を使える器用さも必要。そう考え、久保と二人三脚で新しい日本人ストライカーをつくろうとした。

 久保は1年間しか菅沢氏の指導を受けていない。それでもA代表初スタメンとなった16年11月のアジア最終予選サウジアラビア戦前や昨年11月の親善試合ブラジル戦後にはアドバイスを求めるなど、菅沢氏への信頼は厚い。

 世界で戦えるストライカーとは――。

 恩師の仮説が正しいことを、ロシアの地で証明する。

 ◆久保 裕也(くぼ・ゆうや)1993年(平5)12月24日生まれ、山口市出身の24歳。山口・鴻南中―京都U―18を経て11年4月24日のJ2岡山戦でプロデビュー。13年7月にヤングボーイズ(スイス)に移籍。17年1月にヘント(ベルギー)に移籍すると日本人最多1シーズン21得点を記録。12年2月に高校3年生ながらA代表に初招集され、16年11月の親善試合オマーン戦でデビュー。国際Aマッチ通算13試合2得点。1メートル78、72キロ。

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