原口元気 0歳から始まったW杯への道…“プロより速い”愛犬と磨いたドリブル

2018年05月21日 12:30

サッカー

原口元気 0歳から始まったW杯への道…“プロより速い”愛犬と磨いたドリブル
原口元気 Photo By スポニチ
 【ロシア代表候補 青き原点(8) 】 ずっと犬とボールが友達だった。小学2〜6年まで原口元気(27=デュッセルドルフ)は毎日のようにラブラドールの愛犬マティを相手にドリブルを磨いた。社会人までサッカー選手を続けた父・一(はじめ)さんは言う。「マティの動きはプロよりも速い。マティを鬼にして鳥かご(ボール回し)をやるんです。ファーストタッチをミスするとすぐに取られてしまいます」。
 この練習を始めた当時、原口の体重は20キロ台、対するマティは約30キロ。吹っ飛ばされることもあった。それでも原口は何度もトライ。このマティとの日々が天才ドリブラーの礎となった。

 W杯への道は0歳から始まっていた。3700グラムを超す大きな赤ちゃんだった原口は逆子で生まれてきた。斜頸(しゃけい)を心配した両親が小児科に相談すると背筋を鍛えるよう教えられた。トレーニング方法は、首が据わるようになってから一さんの手のひらの上に原口のお尻を乗せること。ちょうどバランスボールに座る感覚だ。

 「手の上に乗せると自分でバランスを取るんです。乗馬のイメージですね。1歳になるくらいまで毎日続けました。そこで成長過程は全く変わりました。幼稚園の時には、もう小学生2、3人をドリブルで抜いてました。身体能力はずばぬけていました」。母・玲子さんの母子手帳には1歳6カ月で上手にドリブルしたと記入されているという。

 小学校以後はメキメキと頭角を現す。江南南少年団では全国制覇も経験。使用していたクーラーボックスには原口直筆のW杯トロフィー、日本代表エンブレム、そしてマティの絵。玲子さんは「当時から頭の中は犬とサッカーだけです」と笑う。当時ピッチでは上級生を怒鳴り散らすこともあり生意気と言われた。だが一さんは「将来、海外に行った時に自己主張できる強みになると思い、そこはつぶしませんでした」と振り返る。

 09年に浦和とプロ契約し、14年には念願のドイツ移籍。だが最大の壁にぶち当たったのはこの頃だ。「(ヘルタ時代の)ダルダイ監督には最初、握手も拒否され、2週間は名前も呼んでもらえなかったそうです」。東洋人への差別。監督を振り向かせるために誰よりも早くピッチに現れ、誰よりも遅くまで練習した。監督の求める守備にも全力で取り組み、確固たる地位を築いていった。

 当時、単身で乗り込んでいた原口を支えたのはドイツでも暮らし始めた愛犬のエナだ。名前は元気(エナジー)に由来する。オフにエナ相手にドリブルして遊ぶのは今も変わらない。磨き続けてきたドリブルをロシアの地で披露する。

 ◇原口 元気(はらぐち・げんき)1991年(平3)5月9日生まれ、埼玉県熊谷市出身の27歳。江南南サッカー少年団から浦和ジュニアユース―浦和ユースを経て09年、日本人としてはクラブ史上最年少で浦和とトップ契約。ユース時代にはバイエルンMからもオファーを受ける。14年5月、ドイツ1部ヘルタに移籍。今年1月から同2部デュッセルドルフでプレー。W杯ロシア大会アジア最終予選では、史上初となる4戦連続ゴールをマーク。1メートル79、68キロ。

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