マルセイユDF酒井宏樹 年中センタリングの練習をしていた少年時代

2018年05月22日 11:30

サッカー

マルセイユDF酒井宏樹 年中センタリングの練習をしていた少年時代
第14回草加市サッカーフェスティバル2003地域交流大会での酒井宏〈右) Photo By スポニチ
 【ロシア代表候補 青き原点(9) 】 「3分に1点のペースで点を取る」――。他クラブからそう恐れられたストライカーがいた。それが酒井宏だった。小学3年から6年まで所属した柏マイティーFCでは、絶対的エースとして最前線に君臨した。
 幼稚園時代から酒井宏を知る柏マイティーFCの倉持行一代表(53)は「同年代とは格が違った。スピードも全然違うし、運動量は他の子の3倍はあった。決して足元がうまいというわけではないが、日本人が持っていないバネやしなやかさがあった。アフリカ人の身体能力のような感じですね」と当時を懐かしんだ。「周りの子がフラッグコーンやマーカーに見えるくらい」といわれるほどの圧倒的なスピードで相手DFを置き去りにし、右足で強烈なシュートを放つ。試合終了間際の決勝点でチームを救ったのは1度や2度のことではなかった。

 プレー面ではチームを引っ張る王様だったが、練習態度は真面目そのものだった。「年中、センタリングやシュート練習をやっていて、当時からセンタリングを上げるのが得意だった。蹴り方も今と変わらなかったですね」と倉持代表。今や代名詞となった高速クロスはこの頃から磨かれた。

 そんな酒井宏に転機が訪れた。中学入学を機に柏の下部組織に入団。同年代には足元の技術に優れた選手が多く、最初は練習に付いていくのもやっとだった。倉持代表がこっそり練習を見に行くと、酒井宏は悩んで自信なさそうにしていたという。サッカー人生初めての挫折だった。

 だが、根っからの負けず嫌いは切り替えも早かった。「自分は付いていくのがやっとなんで。練習しかないんで」と酒井宏は誰よりも早くグラウンドに現れ自主練習し、全体練習後も居残りでボールを蹴り続けた。FWからサイドハーフ、そして中学3年頃にサイドバック(SB)へポジションを移すと、才能が一気に開花した。

 柏、ハノーバーを経て16年夏にマルセイユへ移籍。「フランス人は技術がとてつもなくある。とにかくテクニックが断トツと(酒井宏が)言っていた。そこでもまれたことが成長につながったのでしょう」。課題と言われた守備を向上させることが、厳しい環境を生き抜くための術(すべ)だった。

 不動の右SBに成長した今、酒井宏は2度目の大舞台に挑もうとしている。持ち味の攻めと磨きをかけた守り。ロシアの地で進化を証明する。

 ◆酒井 宏樹(さかい・ひろき)1990年(平2)4月12日生まれ、千葉県柏市出身の28歳。柏の下部組織を経て高校3年時の08年に2種登録。09年から正式にトップチームに昇格した。12年7月にドイツのハノーバーに移籍し、16年6月にフランスのマルセイユに加入。日本代表では12年5月のキリンチャレンジ杯アゼルバイジャン戦でデビュー。国際Aマッチ通算41試合0得点。1メートル83、70キロ。利き足は右。

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