東京五輪でメダルを獲得できたらアルゼンチンに感謝

2021年03月27日 07:00

サッカー

東京五輪でメダルを獲得できたらアルゼンチンに感謝
<U24日本・U24アルゼンチン>勝って記念撮影をするアルゼンチンイレブン(代表撮影) Photo By 代表撮影
 【大西純一の真相・深層】7月の東京五輪へ向けて、U-24日本代表の活動が再開され、26日にU-24アルゼンチン代表と対戦した。結果は0-1、U-24日本代表は1年以上も活動していなかっただけに仕方がないところもある。それ以上にアルゼンチンが本気モードで戦ってくれたことで、日本は厳しい現実を突きつけられ、目を覚まされたのはまちがいない。前日のA代表の日韓戦で韓国のコンディションが悪かったことと比較するとなおさらだ。
 アルゼンチン代表といえば、92年6月のキリンカップで来日したときのことを思い出す。オフト監督の初陣で、日本代表は0-1で敗れたが、善戦した。それまで日本に親善試合に来るチームはクラブチームが多く、半ば観光気分。全力で立ち向かってくるチームはあまりなかった。それでも日本代表は歯が立たなかった。ところが92年のキリンカップでアルゼンチンとウエールズが来日した。それまでヨーロッパや南米の強豪国のA代表が来日することはなかった。アルゼンチンは90年のW杯イタリア大会で準優勝し、91年のコパアメリカで優勝、94年W杯米国大会で3度目の優勝を狙っていた国。ほぼベストのメンバーで来日し、国立競技場で本気モードで日本代表と戦った。スコアは1-0だが、日本に「世界のトップレベルとはこういうもの」というものを教えてくれた。日本代表の選手は目指すものが体で感じられた。アルゼンチンに必死で立ち向かった日本に対して世界の見る目も変わった。この試合が、日本が強くなるきっかけだった。ドーハではあと一歩だったが、6年後のW杯フランス大会に初出場を果たし、世界の仲間入りをした。

 当時、奇跡とも思えるマッチメークを実現させたのはブエノスアイレス在住の日本サッカー協会国際委員、北山朝徳(とものり)さんだった。2019年6月に72歳で亡くなったが、アルゼンチン協会のグロンドーナ会長や、右腕的な存在だった南米連盟のデルーカ専務理事と親しく、ふらりと事務所を訪ね合う仲だった。北山さんと2人の信頼関係が協会同士の関係性になり、やがて日本とアルゼンチンのサッカーが親密になった。原点は北山さんだった。

 今回、アルゼンチンが来日したのも、五輪開催国ということもあるが、北山さんの人脈もあったと思う。30時間近く懸けて来日し、外部と接触を遮断されて試合をしてまた戻る過酷な日程はリスクも大きい。それでも日本に来て全力で対戦した。もちろんチーム内のサバイバルがある。どんなときでも手を抜かないアルゼンチン気質もある。だが日本をリスペクトし、強豪国として100%で胸を貸してくれるのは北山さんの遺産だ。

 日本がこの試合で感じたものを生かして東京五輪でメダルを獲得できれば――天国で北山さんも喜ぶと思う。そして、日本のサッカーが強くなる過程で北山さんのような人がいたことも、忘れないでほしい。

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