【コラム】金子達仁【コラム】金子達仁

世界が、日本が熱狂した史上最高の祭典

2018年07月17日 11:30

サッカー

世界が、日本が熱狂した史上最高の祭典
<フランス・クロアチア>W杯を制し大喜びの(左から)グリーズマン、ポグバ、エムバペ(撮影・西尾大助) Photo By スポニチ
 誰もが憧れるが、誰もが手にできるものではない。強くなければ手にすることはできないが、強ければ手にできるものでもない。
 それがW杯である。

 人口わずか440万人のシンデレラ・ストーリーは、やはり成就しなかった。勝ったことのあるものにしか許されない黄金のカップを掲げる権利は、今回も、初めて挑戦するものではなく、一度勝ったことのあるものに与えられた。

 それでも、準決勝までが精いっぱいだった小国の可能性を、決勝にまで広げたクロアチアの功績は大きい。旧ユーゴスラビア時代ですらなし得なかった今回の快挙は、サッカーに新しい解釈をもたらしたとも言える。人口は、必ずしも力ではない。巨大な烏合(うごう)の衆よりは、思いを同じくする小さな集団の方が結果を出すこともある、という――。

 およそ1世紀前、ロシアの大地からは万国の労働者の決起を促す狼煙(のろし)があがった。今回のクロアチアの躍進は、世界中のフットボーラーの決起を促すことになるかもしれない。

 W杯の本大会では、アウトサイダーが勇気をもって戦うようになる。W杯の予選では、まだ出場経験のない国が、地域の巨人に挑みかかっていく。サッカーは、よりカオスの時代となる。

 そのきっかけを、今回のクロアチアは作った。MVPに輝きながら、頂に届かなかった無念さを噛(か)みしめるようだったモドリッチの表情は、長く世界の人々の記憶に残ることだろう。

 フランスが優勝した要因については、これからさまざまな人が語っていくだろうが、今回の優勝は、この国の印象を完全に変えた、と言えるかもしれない。

 プラティニ時代のフランスを知る人間にとって、彼らのサッカーとは常に美しく、常に勝負弱いという印象があった。あまりにも個人主義を重んじすぎるがあまり、チームが分解してしまったこともある。そして、他ならぬフランス人自身が、そんな負け方を、「仕方がない。我々はドイツ人ではないのだから」と受け入れているようでもあった。

 だが、今大会のフランスは非情な精密機械だった。全員が同じ方向を向き、美しいサッカーに酔うのではなく、ただ勝つことのみに邁進(まいしん)した。そのためには、イタリア人のように狡賢(ずるがしこ)く守り、ドイツ人のようにハードワークすることも厭(いと)わなかった。

 驚くべきは、世界の頂点を制してなお、このチームがまだ完成形には至っていない、ということである。

 ヤングプレーヤー賞を受賞したエムバペが、次代のスーパースター候補であることは間違いない。だが、今大会のフランスは、必ずしも彼に頼ったチームではなかった。少なくとも、アルゼンチンのメッシや、ブラジルのネイマールとは背負っているものがまるで違っていた。

 それでいながらの、優勝である。

 今後、エムバペが存在感を増していくことを考えれば、フランスがどこまでの高みに駆け上がるのか、末恐ろしくもある。

 ともあれ、4年に一度の祭典は終わった。素晴らしいW杯だった。史上最高のW杯だった。世界中の人々にとって、そして我々日本人にとっても。(金子達仁氏=スポーツライター)

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