宮原4位「やりきった」自己記録更新、人生一番のガッツポーズ

2018年02月24日 05:30

フィギュアスケート

宮原4位「やりきった」自己記録更新、人生一番のガッツポーズ
女子フリー、演技を終えガッツポーズをする宮原(撮影・小海途 良幹) Photo By スポニチ
 【平昌冬季五輪フィギュアスケート女子フリー ( 2018年2月23日 )】 宮原知子(19=関大)はフリーで146・44点をマークし、SPに続いて自己記録を更新したが、合計222・38点で4位。銅メダルのケイトリン・オズモンド(22=カナダ)には8・64点届かなかった。SP5位の坂本花織(17=シスメックス)は合計209・71点で6位。日本女子2大会ぶりのメダルを逃したものの、初出場の2人はそろって入賞を果たした。
 本人が認めた、人生で一番のガッツポーズだった。「蝶々夫人」を演じた宮原が興奮を表に出した。鬼門の3回転ルッツ―3回転トーループは、回転不足にはならなかった。3回転サルコーも鮮やか。悔いはなかった。

 「やれることをやりきったので、メダルが欲しいと思ってガッツポーズをやりました」

 フリーで2・75点、合計で4・05点も自己ベストを上回った。後続のオズモンドらトップ3に抜かれたものの、納得の演技だった。関大高時代に書いた論文は「オリンピックに魔物がいるか」。答えは「いなかった」だった。

 浜田美栄コーチ(58)は「どんくさい子でも五輪に出られる。心・技・体のうち、心が大事だと思いました」と小1から見守る愛弟子をねぎらった。

 テニスをすれば、ラケットの面ではなく、くるっと90度寝かしてフレームで打ってしまう。バレーボールはサーブで空振りした。「負けるから、知子と一緒のチームになるのをみんな嫌がって」。コーチがあきれ返るほどの運動神経だった。

 しかし、誰にも負けない資質が一つあった。ひたむきさだ。ジャンプの習得が同学年で一番遅くとも、「うまくなりたい」の一心で、汗を流し続けた。

 高校時代に「ハーバード大学に行きたい」と夢を抱き、今も引退後の選択肢。競技同様、勉強にも力を注いだ。削ったのは寝る時間。成長期に1日4、5時間の睡眠が続き、骨の形成に影響を与えた。それが昨季の左股関節疲労骨折につながった。

 だが、故障からの復帰を支えたのも、努力の心だ。夏場は腹筋だけで1日1000回。計7時間のトレーニングを続けた。コツコツの先に、レベルアップした姿があった。

 緩やかな成長曲線の果ての、初五輪は4位で終わった。だが、これが終わりではない。「また五輪に戻ってきて、今度こそメダルを獲りたい」。不屈のエースの辞書に、困難や壁という言葉はきっと存在しない。

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