白鵬 天国の父にささぐ、東京五輪土俵入り 思いさらに強く…

2018年04月11日 05:30

相撲

白鵬 天国の父にささぐ、東京五輪土俵入り 思いさらに強く…
2006年5月、大相撲夏場所で初優勝を飾った大関白鵬の横で喜ぶ父ムンフバト氏(手前右) Photo By 共同
 大相撲の春巡業は10日、長野県伊那市で行われ、9日に父・ジジド・ムンフバトさん(享年76)を肝臓の病気などで亡くした横綱・白鵬(33=宮城野部屋)が、悲しみをこらえて力士の務めを果たした。葬儀に参列するため、11日に故郷モンゴルに帰国。11日(長野県東御市)から14日(神奈川県藤沢市)までの春巡業を休場する。
 訃報から一夜明け、白鵬は朝稽古の土俵に立っていた。地元・長野出身の関脇・御嶽海にぶつかり稽古で胸を出した。横綱土俵入り、取組もこなした。「自分に与えられた仕事を全うする気持ちだった」。涙こそなかったが、沈痛な面持ちで答えた。

 白鵬によると、昨年10月、ムンフバトさんに肝臓がんが見つかった。白鵬は直後の九州場所で節目の40回目の優勝を飾り「喜んでもらった」という。12月、今年1月には治療のために日本に呼び寄せた。「元気になって戻ったが、この1週間で急激に悪化した」と説明した。

 モンゴル相撲の大横綱でレスリングでも活躍したムンフバトさんは国民的英雄だった。「横綱になって勝って当たり前というプレッシャーを感じた時に、親父の偉大さが分かった」。大相撲で幾多の記録を塗り替えても、絶対的な存在に変わりはなかった。

 父が初めて五輪に出場したのは64年東京大会。思い残したことを聞かれると「(20年の)東京五輪で開会式を(一緒に)見たかった」と寂しげな表情を見せた。白鵬は以前から東京五輪の開会式で横綱土俵入りを披露したいと希望していた。「頑張れるか分からないけど」とその思いはさらに強くなった。

 春日野巡業部長(元関脇・栃乃和歌)の許可、勧進元(主催者)の了承を得ており、11日に帰国する。「(13日予定の)葬式が終わって一つ一つ思い出して胸に刻みたい。親父を見習ってやっていければ」。亡き父のためにも2場所連続休場からの完全復活を目指していく。

 ◆ジジド・ムンフバト 1941年6月1日生まれ、モンゴル・トブ県エルデネサント出身。母国で年1回開かれるスポーツの祭典、ナーダムで計6度優勝したモンゴル相撲の元横綱。レスリングでは64年東京大会から五輪に5大会連続で出場し、68年メキシコ大会ではフリースタイル87キロ級で銀メダルを獲得。43歳だった85年に、タミル夫人との間に白鵬をもうけた。

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