陸上競技との出会い~挫折、大きなケガ、ドラマチックな県総体の話も|榎本樹羅の「陸上競技を人気スポーツにするぞ!」
2024年09月19日 09:00
皆さん、おはようございます! こんにちは! こんばんは!
榎本樹羅です。
今回は、私が陸上競技を始めたきっかけと、これまでの陸上競技生活での思い出(前編)について綴っていきたいと思います。ものすごく長くなりますがお付き合いください。
もしかして吹奏楽部だったかもしれない中学時代
私が初めて陸上競技に関わったのは、小学5年生の時に出場した市内大会でした。運動会のクラスリレーや地区対抗リレーに選出してもらうなど、元々走るのが得意ではありましたが、大会に出たことはなく、この市内大会が私にとっての陸上競技人生初の大会となりました。
初出場から2連覇の実績
走り幅跳びに出場し、記録は(私の記憶では)3m56でした。記念すべき初出場の大会で優勝することができ、とてもうれしかったのを覚えています!翌年にも同じ大会に出場し、3m91で2連覇することができました。
吹奏楽部と悩んだ末に陸上競技を選択
金管バンドに入っていた樹羅さん
そんな実績がありましたが、中学校で入部する部活は陸上競技部と決めていたわけではありませんでした。実は吹奏楽部に入りたい気持ちがありまして……。小学生のとき金管バンドに所属し、コンクールやイベントで演奏していました。音楽を聴くことも楽器を吹くことも好きで、この道を選択したい気持ちもありました。
でも楽器が高価なこと、練習量の多さなどを懸念して……陸上競技部を選択しました(笑)。陸上競技を選択したことに今でも一切の後悔はありませんが、楽器や音楽の楽しさを知っているからこそ、今でも時々楽器に触れたいなと思うことがあります。
そこで、知る人ぞ知る私の特技であるハンドフルートが誕生したのであります(いつかお見せしたい)。
中学陸上時代の「4つの思い出」を初告白
陸上競技を本格的に始めたきっかけとしてはザックリとこんな感じになります。中学生では大きく分けて4つの思い出があるので、ひとつずつ紹介していきますね。
ジュニアオリンピック出場を逃した、初めての挫折
1つ目の思い出は、私が陸上競技に本気になったきっかけのひとつである「ジュニアオリンピック出場を逃したこと」。出場条件は、期限内に標準記録を突破するか標準突破者がいない場合はジュニアオリンピック選考会にて1位になるかでした。
選考会当日、標準突破者がいなかったため1位になれば出場権が得られる可能性が大いにありました。私にとって初めての全国大会への挑戦だったため、かなり気合が入っていたのを覚えています。
選考会で優勝したけれど……
走幅跳に出場し予選は3位で通過。決勝5本目で4m74をマークし、トップに立ちました。競技終了までトップを維持し、その選考会は優勝で終えることができました。まだこの時点で出場は決定していませんでしたが、標準記録突破の期限内に5mを超える選手がいなければ出場が確定する予定でした。
優勝から期限までは1~2週間。いても立ってもいられないような気持ちだったのを覚えています。迎えた期限の日、他の競技会の結果を必死に検索していました。すると、私のライバルであった選手が5mを超える記録を出したことを知り、私のジュニアオリンピックへの挑戦が終了。
あの時は悔しい気持ちいっぱいで、とても泣きました。それと同時に、陸上競技の世界はそんなに甘くないんだと、生意気にも中学1年生ながらに感じました。でも、この悔しい経験があったからこそ今の私があるのだと思います。
樹羅さんの中学デビュー戦らしき動画
2年生で負った剥離骨折の大ケガ
2つ目は剥離骨折を起こしたこと。"中学2年生"という、競技者としてまだ体も心も成長していないなかで起きた大きなケガでした。このケガによって中学2年生シーズンは、ほとんどの試合に出られませんでした。部活動に行っても競技の練習ではなく、補強トレーニングしかできない毎日。
試合会場に行けば、どんどん強くなっていくライバルたちを目の当たりにし、悔しさを胸に日々を過ごしていました。
ケガが治り試合に出場できたのは2015年10月17日、偶然にも年の離れた妹が生まれた日。正確な記録は覚えていませんが、自己ベストかそれに近い記録で復帰できました。
地元の大きな大会で決勝進出
兵庫県で陸上競技をしていれば誰もが憧れる「リレーカーニバル」。3つ目は、この大会で決勝の舞台に立てたことです。準決勝からはテレビでも放映されるので、私は「絶対に決勝に残りたい」と意気込んでいました。予選、準決勝と駒を進め、ついに決勝へと進出。
私の中学校からは何十年ぶりかの決勝進出だったらしく、先生たちも喜んでくれたのが非常に嬉しかったです。何より3年間一緒に頑張ってきた仲間と共に、憧れの舞台に立てたのも一生の思い出となりました。
次のページ:最後の思い出はドラマチックな展開!
中学最後の年に近畿大会・全中出場への挑戦
近畿大会出場時に記念撮影をする樹羅さん
最後の4つ目は、近畿大会や全中(全日本中学校陸上競技選手権大会)へ出場するために全力だったこと。中学1年時のジュニアオリンピック出場を逃した以来、ケガもあり近畿大会や全中から遠ざかっていました。負けず嫌いな私は「絶対に中学最後の年に近畿大会も全中も出る」という気持ちを持ち続けました。
シーズンに入るとケガをすることなく順調に自己ベストを更新し、ライバルたちとも互角に戦えるように。全中に出場するためには、通信大会もしくは県総体の2試合で標準記録を突破することが条件でした。
出場資格の対象大会で風に嫌われる
迎えた通信大会で100mに出場。予選は12秒37(追い風+2.7)、準決勝は12.47(追い風+2.9)という結果で決勝に進むことができず、通信大会での全中出場資格の獲得は叶いませんでした。えっと……「追い風参考(※)すぎやねん!」というのが私の本心でした(笑)。
きっと日頃の行いが悪かったのでしょう。県総体で標準記録を突破するしかありませんでした。
※追い風参考……追い風が2メートルを超えるコンディションの下で競技が行なわれた場合の記録は参考記録となり、正式な記録とは認められない。
兵庫県総体では100mと走幅跳に出場しました。あ、そういえば「なぜ通信大会で走幅跳に出場しなかったのか」気になりますよね? それは、100mの標準記録が12秒53であるのに対して自己ベストは12秒62。それに対し走幅跳は標準記録が5m45であるのに対して自己ベストは5m15でした。
これを考えると、圧倒的に100mの方が近畿総体や全中に出場できる可能性が高かったのです。
1日で3本走って6本跳ぶ超過密スケジュール
そのため、通信大会で100mで標準記録を突破、兵庫県総体で走幅跳の標準記録を突破するという計画でした。しかし通信大会で突破できなかった以上、兵庫県総体の1日で100mを3本走り、走幅跳を6本跳ぶという過酷な日程のなかで記録を出さないといけない絶体絶命の危機でした……。さらに私を襲ったのは、競技時間です。
走幅跳の日程(上)と100mの日程(下)
こちらの画像をご覧ください。なんというもろ被りな競技日程なんでしょうか!? もう何と言いますか……「絶望」の一言なんですよね。これは今見ても恐ろしい競技日程だと思います。で、どうなったか気になりますよね?
走幅跳の試技の合間に100mを走る
結果は100mが予選12秒76(追い風-1.0)、準決勝は12秒54(追い風+0.8)で決勝進出。決勝では12秒66(追い風-1.8で3位。標準記録突破はなりませんでしたが、3位入賞で近畿大会へ進むことができました。
悔しさや嬉しさ、色々な思いがありましたが、余韻に浸る暇はありませんでした。なぜなら、走幅跳の決勝途中に100m決勝に出場したのですから。
そうです、100mを走り終わってすぐに、休む暇もなく走幅跳の5本目が待ち受けていました。出場選手全員の試技が終わるまでに戻れなかった場合は跳ぶ資格が1回パスになってしまいます。そのため休む暇もなく、気付いたらピットに立っているという状況。
前述のとおり、標準記録の5m45に対して自己ベストは5m15と大きな開きが。
自己ベストを大きく上回る大ジャンプ
この事実からして、標準記録を突破できる可能性は低かったと思います。しかし私はそんなことを考える余裕もなく、ただ目の前にあるピットに向かって跳ぶしかありませんでした。迎えた5本目、とにかく無我夢中で走って跳んだ5本目。聞こえたのは「5m58」と記録を伝える声、そして私のビッグジャンプに沸き上がった会場。
その時のことを今でも鮮明に覚えています。
風が公認か参照かを聞くまでの時間は長く感じましたが、「榎本さん、5m58。全国標準記録突破です。おめでとうございます!」のアナウンスを聞いた瞬間、張り詰めた糸が切れたようにじわじわと実感が。そして恩師と熱いハグを交わしました。
兵庫県総体の走幅跳で優勝した樹羅さん
全中出場を決めた大ジャンプ!
次回はテレビにも出演した高校時代
そんなこんなで、色んな試練がありながらも無事に近畿総体と全中への出場が叶いました。今回はここまで!
陸上競技を始めたきっかけと中学陸上での思い出を綴っていたら、つい長くなってしまいました。次回は、高校陸上の思い出についてお話ししたいと思います。地元・兵庫を離れての生活やテレビにも出演と、いろいろあった3年間。お楽しみに!
実業団の大会に出場予定!
実業団チームのユニフォームでポーズをとる樹羅さん
9月22日(日)、山口県で開催される『全日本実業団対抗選手権大会』に出場します。 実業団に入って初めての全国大会。わくわくドキドキしていますが、今ある力をすべて出し切れるように頑張りますので、応援よろしくお願いします!
プロフィール
榎本樹羅
陸上競技選手
【種目】走幅跳 5m92 / 100m 11秒98
【出身】兵庫県加古川市
【経歴】四国学院大学香川西高等学校→立命館大学→アストライア明石
【趣味】編み物、ネイル、一人ショッピング
【チャームポイント】笑顔
【ニックネーム】じゅらら、ムキ子
Instagram
https://www.instagram.com/j_gram03/
<TEXT&PHOTO:榎本樹羅>
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