内田雅也編集委員が三宅秀史さんを悼む 悲劇に見舞われながら自分の心に素直に生きた生涯

2021年03月06日 05:30

野球

内田雅也編集委員が三宅秀史さんを悼む 悲劇に見舞われながら自分の心に素直に生きた生涯
三宅秀史さんが座右の銘として書いた「熱球」 Photo By スポニチ
 三宅秀史さんに、昨年オフの連載『猛虎の地』で取材依頼の手紙を送り、電話も応答がない。いつも返事をくれる律義な方なので案じていた。吉田義男さんに聞くと「もうあかんかもしれん……」と覚悟していた。
 連載で取り上げたかったのは大阪・梅田の安兵衛食堂。岡山・南海高(現倉敷鷲羽高)3年の1952(昭和27)年12月、夜行列車で単身、大阪に来た。球団事務所で契約し、30万円の札束を手にした。近くの食堂で独り昼食をとり、故郷へ帰った。プロ入り当時の心境を聞きたかった。

 「長嶋以上」と称された三塁守備にパンチのきいた打撃で連続出場記録を作った。努力は相当だったろう。安藤統男さんによると、スパイクは土踏まずの切れ込みのない「わらじ型」で「ねんざしないように」と独特の工夫を凝らしていた。

 スマートで口調も柔らかだった。座右の銘を聞く2014年オフの企画で自宅のある三重県鈴鹿市を訪ねた際、色紙に書いたのは「熱球」=写真。内に秘めた情熱を知った。「丸い物は正直」と言った。「何年間か、一生懸命遊んだボールに教わった。人間は素直じゃないといかん」

 連続出場が止まった左目の負傷。孫の肝臓を受けた生体肝移植。悲劇に見舞われながら自分の心に素直に生きた生涯だった。 (編集委員・内田 雅也)
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