元阪神の三宅秀史さん死去 吉田義男と「史上最高」の三遊間 700試合連続フルイニング出場の元祖鉄人

2021年03月06日 05:30

野球

元阪神の三宅秀史さん死去 吉田義男と「史上最高」の三遊間 700試合連続フルイニング出場の元祖鉄人
阪神時代の吉田義男氏(左)と三宅秀史さん(1957年撮影)
 阪神は、OBの三宅秀史(みやけ・ひでし)氏が3日に三重県内の病院で心不全のため死去したと発表した。86歳。岡山県出身。通夜・告別式は近親者のみで執り行われた。
 岡山県立南海高から当時の大阪タイガースに入団。1年目の1953年に二塁手として頭角を現し、55年に三塁でレギュラーに定着した。遊撃の吉田義男と史上最高の三遊間と称され、二塁の鎌田実も含めたトリオは「100万ドルの内野陣」と呼ばれた。俊足強肩の内野手で、巨人・長嶋茂雄の派手さとは対照的だった堅実な三塁守備は、球界でも評価は高かった。

 59年6月25日の巨人との天覧試合にも出場。62年と64年のリーグ優勝に貢献した。56年4月11日大洋(現DeNA)戦から882試合連続出場。57年7月15日広島戦からの700試合連続フルイニング出場は、04年に金本知憲に抜かれるまでのプロ野球記録で元祖鉄人だった。62年9月6日の試合前練習で、小山正明のキャッチボールの球がそれて左目を直撃して負傷し連続記録がストップした。0.1まで低下した視力はその後も完全には戻らず選手生命を絶たれる一因にもなった。

 66年にコーチ兼任となり、67年の現役引退後は翌68年からコーチ就任、70年には2軍監督を歴任した。金本が04年8月1日の巨人戦で701試合連続フルイニング出場を果たし自身の記録を更新した際には、甲子園球場を訪れ、セレモニーで花束を手渡した。

 三宅 秀史(みやけ・ひでし)1934年(昭9)4月5日、岡山県琴浦町(現倉敷市)生まれ。南海高(現倉敷鷲羽高)から53年阪神入り。3年目に三塁手の定位置獲得。守備の名手で吉田義男との三遊間は鉄壁と称された。57年ベストナイン。プロ野球記録(当時)の700試合連続全イニング出場中だった62年9月、練習で左目にボールを受け、虹彩離脱眼底出血の重傷。66年から登録名を三宅伸和(―のぶかず)とし、67年限りで現役引退。阪神でコーチ、2軍監督を歴任した。右投げ右打ち。

 ▼吉田義男氏(現役時代に三遊間を組むなどし)三宅は同期入団で三遊間でコンビを組んだ同志でした。派手さはないが堅実なプレーで、三塁手では長嶋君に勝るとも劣らない守備だったように思います。思い出は尽きません。

 ▼金本知憲氏(本紙評論家)現役時代に目をケガされたお話を実際にうかがいました。当時は、目のケガでも選手生命の危機になることがあるのだと思いました。連続フルイニングの記録を「もっともっと。どんどん伸ばしていけよ」と直接、背中を押していただいたことは今でも鮮明に覚えています。
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