国枝慎吾、男泣き金メダル 最強の男が王座返り咲き!9年ぶり3度目

2021年09月05日 05:30

テニス

国枝慎吾、男泣き金メダル 最強の男が王座返り咲き!9年ぶり3度目
<パラリンピック車いすテニス 男子シングルス決勝>表彰式で金メダルを手に記念撮影をする国枝(撮影・坂田 高浩) Photo By スポニチ
 【東京パラリンピック第12日 車いすテニス男子シングルス決勝   〇国枝慎吾 6ー1、6ー2 トム・エフベリンク● ( 2021年9月4日    有明テニスの森公園 )】 男子シングルス決勝は世界ランキング1位で第1シードの国枝慎吾(37=ユニクロ)が第8シードのトム・エフベリンク(28=オランダ)を6―1、6―2で破り、2大会ぶり3度目の金メダルを獲得した。準々決勝で敗退した16年リオデジャネイロ大会から鮮やかに復活し、王座に返り咲いた。
 5度目のマッチポイント。相手のショットがネットにかかると、国枝の目から涙があふれ出した。5年前の絶望、地元開催、日本選手団主将の重圧を背負いながら、9年ぶりにパラ王者の座を奪還した。「信じられないのひと言。最後の瞬間を思い出せないぐらい興奮した。一生分泣きました。枯れました」。日の丸を肩にかけたヒーローに、無観客の有明コロシアムに集まったボランティアから万雷の拍手が送られた。

 170キロ近い高速サーブを誇り、3日のダブルス3位決定戦で敗れたエフベリンクを得意のリターンで鮮やかに攻略した。積極的にネットへ出てボレーは18本中11本と高確率で決めた。それでも「最後はテクニックじゃなくメンタル勝負」と気合を強調した。今年は全豪、全仏、ウィンブルドンで勝てず、自身に言い聞かせる言葉「俺は最強だ」さえも「疑う自分がいた」。フォーム見直しで試行錯誤し、固まったのは開幕1週間前。「パラリンピックの重圧をひしひしと感じた。重圧がある勝利は格別。だから、ああいうふうに思い切り泣ける」と振り返った。

 リオ大会で3連覇を逃し、年間世界ランキング10位と低迷。同年4月にクリーニング手術を受けた右肘に痛みが残り、若手にはパワーで圧倒された。「引退」の2文字がちらつき始めた時、東京での金メダルは「99・9%信じられなかった」。それでもパワーに対抗するため前へ出て勝負する攻撃的スタイルにモデルチェンジ。肘に負担のかからないバックハンドなど、1年をかけてフォームを改造した。18年1月の全豪オープンで復活優勝を遂げると、同年4月からは健常者の元プロ選手・岩見亮コーチを招へいし、貪欲に向上を目指した。高い打点から打てるように車いすの座席の高さを上げた分、難しくなった操作は世界最高のテクニックでカバー。5年前とのプレー写真を見て、「全く違う」と認めるほど「濃密な5年間」で生まれ変わった。

 東京大会では子供たちへの競技の認知度アップも目指していた。「僕のようになりたいと言ってもらえることが一番の励みにもなる」。パラリンピックという言葉を国民に浸透させた男の次戦は全米オープン。パラ王者として6日に渡米する。

 【国枝の過去4大会】☆04年アテネ大会 20歳でパラリンピック初出場。斎田悟司と組んだダブルスで金メダルを獲得。シングルスは準々決勝敗退。

 ☆08年北京大会 シングルスで金メダル、斎田とのダブルスで銅メダル。金メダル獲得をきっかけに、翌年4月に日本初のプロ選手となった。

 ☆12年ロンドン大会 2月に右肘手術。ケガからの復帰となったが、シングルス2連覇。ダブルスでは準々決勝敗退。

 ☆16年リオデジャネイロ大会 4月に再び右肘の手術をしたが、その後も痛みが続き、シングルス準々決勝敗退。斎田とのダブルスで銅メダル。

 ◇国枝 慎吾(くにえだ・しんご)1984年(昭59)2月21日生まれ、東京都出身の37歳。麗沢高―麗沢大卒。9歳の時、脊髄腫瘍による下半身まひで車いす生活に。11歳の時、車いすテニスを始める。4大大会シングルス通算24勝。試合前の勝負曲はGLAYの「SOUL LOVE」。1メートル73、65キロ。右利き。家族は愛夫人。
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