おいの金石氏「いつかはこういう時が来ると」愛甲氏「不死身だと思っていたのに」

2019年10月07日 05:30

野球

おいの金石氏「いつかはこういう時が来ると」愛甲氏「不死身だと思っていたのに」
1974年10月23日、日本一を決め、ナインから胴上げされるロッテ・金田正一監督(中央) Photo By スポニチ
 【金田正一さん死去 】 金田氏のおいにあたる金石昭人氏(58=野球評論家)は病院で対面すると、都内の金田家で遺族と思い出話を巡らせた。「今でも起き上がってきそうで…。穏やかなお顔でした」
 血縁関係はあっても1978年オフ、広島に入団以降は常に「監督」と呼んできた。「自分がPL学園、プロに入れる環境づくりをしてくれた恩人。監督がいなかったら野球をやっていない。野球界で少しは大きな顔ができるのは監督のおかげ。全部が思い出です。いつかはこういう時が来ると思ったけど…。残念だし、寂しい」
 生前の写真を前に、何時間も語りかけたという。「監督は、もういないんですよね。野球ができた僕らは思い入れが強いから」と声を詰まらせた。 

 ○…ロッテ時代に指導を受けた愛甲猛氏はツイッターでお悔やみの言葉を投稿した。「この方だけは不死身だと思ってたのに。ロッテオリオンズ時代2年間本当にお世話になった監督さん。ありがとうございました」とつづった。90年には自己最多21本塁打を放つなど主力選手として活躍した。

 ○…田淵幸一氏(本紙評論家)は「金田さんとは入団1年目に対戦させていただいた。角度のあるカーブを投げていてね。豪快な方だった」と当時の思い出を語った。金田氏が巨人で現役を引退した69年に阪神に入団。対戦成績は9打数ノーヒットで3三振と、安打を放つことはできなかった。同年の球宴では全セの一員として「バッテリーを組ませてもらった。本当に思い出深い」と振り返った。

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