阿修羅原さん死去、ラグビー代表からプロレスへ…天龍と「龍原砲」
2015年04月29日 05:30
格闘技
国際プロレス崩壊後は全日本に参戦。天龍源一郎との「龍原砲(りゅうげんほう)」でPWF世界タッグ王座を獲得するなど、得意技のヒットマンラリアット、雪崩式脳天砕きを武器に一時代を築いた。だが、私生活の乱れにより88年11月に全日本を解雇された。91年にSWSで復帰。最後まで天龍と行動を共にし、94年10月29日に引退した。その後は母校の諫早農高でラグビー部のコーチを務めたが、3年半前に心筋梗塞を患い、闘病生活を送っていた。
盟友の天龍は関係者を通じて訃報を知ったが「ノアの三沢さんが亡くなった時にもコメントを出さなかったので今回も辞退したい」としている。昭和の名レスラーがまた1人、この世を去った。